ユーザーインタービュー第1弾は、荒波さまにお伺いしました。
  • JP:今日は、古くからのユーザーさんで、今ではプロとなっておられる荒波さんにお越しいただきました。荒波さんは、プロの投資家となられております。今日は、JPとのかかわりとか、そういうところを中心にお聞かせいただこうと思っています。
    まずは、JPを買ったころのいきさつ、とかお聞かせいただけますか。

 1982年ごろ、今からもう25年前ですね、大学生だった当時に、相場を実践する傍らで、PCに興味を持って、既に何台かPCを持っていた私は、コンピュータで分析するという株価分析ソフトに非常に興味を持ちました。
 色々と調べていくうちに、
 「最後に笑う 亀の歩みの投資術―コンピュータが解明する株式必勝法」
 という吉村先生の本と出合って、大阪でセミナーをするというので、早速参加しました。

 話を聞いて、本当に凄いと思いました。手書きのチャートを書いていた私から見ると、もう別世界のもので、PCを使って、色んなテクニカル分析をする、という、夢のような話が目の前に次々と繰り返されていました。

 当時は、PCといっても全然一般的ではなくて、一部のマニアが使うものでした。
 一般企業の仕事の現場にもほとんど入ってはいませんでした。当然、株の分析にPCを使うということも、一部の人しか知らないようなことで、ましてや、色んな分析をPCを使ってやるなんてことは、機関投資家でもやっていなかった時代です。
 そういう時代に、吉村先生の先見性は、もう10年以上世間をリードしているものでした。私は、未来を見る思いでした。

 もう、舞い上がってしまいました。自分の夢がかなう瞬間、というのがあるとすると、当時の私がそれだったのでしょう。
 家へ帰って、このソフトがどうしても欲しいと思いました。といっても、どれだけのお金がかかるのでしょうか。
 当時、PCは、NECの9801というPCで40万円、ソフトは、JPが70万円、名参謀が60万円(定価120万円がJPと同時購入なら半額)で、合計では、130万円の投資となります。
 当時の自己資金は、300万円もなかったと思います。それでも買おうと思いました。当時から本当に投資家でした。大学生の若造が車を買えるだけの資金を株価ソフトにつぎ込んだのですから・・・

  • JP:当時の資金からすると凄い投資でしたね。

 株式投資をしていた親にも資金の一部を出してもらえることになりました。私の負担は、それでも100万円ぐらいだったと思います。しかし、これで分析さえすれば、大儲けだともう意気込んでいました。

 そして、購入。1984年ごろでした。見るもの全てが驚きの連続で、本当に凄いソフトだと、びっくりの連続でした。いろんな指標を色んな角度から分析できるのです。

 大阪でのJP会というユーザー会にも必ず出席して、大勢の知り合いもできました。
 当時、大阪JP会をリードしていたのは、私の後から参加したと思いますが、Fさん、Oさん、Tさんたちのグループだったと思います。毎月、色んな成果を発表されるのを本当にびっくりしながら聞いていました。

 その後、就職してから、バブルの上げ相場となりました。私は、1〜2ヶ月ぐらい下げた押し目の株を買って、吹いたら売る、という売買を繰り返して、ソフトの購入で200万円程度に減った投資資金は、瞬く間に1000万円を超えました。さらに、バブルは続き順調に資金は増えていきました。
20代半ばの若者が1000万円を超える資金を容易く作れたのです。

JPのソフトは、私の最高のパートナーとなって、会社へ入ってからも、家へ戻って、PCと格闘していました。

  • JP:どのような分析をされていたんでしょうか。

 当時は、動態分析、JP法株価分析、という分析で、特に動態分析というのは、凄い発想だと思いました。最新の株価が有線から入ると、その最新の株価にあわせて、検証してくれる優れたものだったのです。

 休みの日とかは、PCを使って、朝から晩まで分析を繰り返していました。あらゆる指標に対して、あらゆるパラメーターを当てはめて、PCをぶん回して、分析を続けるのです。
 最初のPCは、フロッピーだけだったのですが、HDDが出て、それをつなげるようになって、SCSIのHDDを外付けで3台つないているような超ヘビーユーザーでした。

 当時、テクニカル分析、中でも、システム売買についての本などは、日本の本では1冊も無く、洋書を求めて、梅田の書店で物色し、色んな洋書を買いました。
 1冊1万円とかしましたが、とにかくもう必死でした。

 引き続き、JPのソフトを使って、押し目を買って、戻りを売る、こうして資金は増えていました。

 他のユーザーさんグループと私とは、競争のように大阪JP会でその分析の成果を発表しあっていました。本当にお互い人生をかけて、分析に走り続けていた時期だったと思います。

 そういう中で、1988年年末に、有給を取って、香港へ友人のHさんと遊びに行きました。資金は増え続けていた当時、私は、高すぎると判断して、空売りを決行していました。

 香港では、買い物と美食に加えて、夜はナイトクラブで朝まで豪遊し、マカオへ行って、バカラをやって、とそれこそ豪遊で、9日間の滞在で100万円以上を使った今でも人生最高のいい思い出でした。

 香港から戻ってくると、株価はさらに上がっていました。空売りは、100万円以上の損を出しており、結局、損切りとなりました。しかし、儲けている私にとっては、どうということもない損失でした。

  • JP:昭和のバブル崩壊の当時は、どのようにされていたのでしょうか。

 年が明けて、ついにバブル崩壊が始まりました。暴落に次ぐ暴落です。
 日経225が1000円下がった翌日さらに1000円下がる、という恐ろしい下げでした。さらにちょっと戻してもすぐにまた1000円下がる。日経はいったいどこまで下がるのか。
 しかし、空売りするぐらいですから、既に全ての株を売っていた私は、もう、天才気分でした。

 4月まで3ヶ月間下げ続けたのを待って、満を持して買い出動しました。信用取引も使って、3000万円程度買ったと思いますが、一時的には200万円ぐらいの利益になりましたが、再び下げ始めて、大した上げにもならずに結局、数十万円の利益で手仕舞いしました。

 さて、このときに、ワラントという商品に興味を持ちました。非常に高いレバの効く商品で、下げ相場の中で、どん底にまで売られていました。プレミアムから見て、非常に割安に感じました。
 私は、7月、全力で買い出動しました。富士通ワラントとキャノンワラントです。
 金額は、2000万円、富士通のワラントが主力で、数十万株分のワラントでした。
 当時は、フルレバレッジが当然という恐いもの無しの突貫小僧だったのです。私は、この投資で億を掴むつもりでした。

  • JP:凄いレバレッジですね。それでどうなったんですか。

 ・・・そして、待っていたのは、8月のフセインのイラク進行でした。
 富士通のワラントは、15円程度で買ったものが、2円とかになってしまいました。毎日100万円ずつ損していました。
 完敗でした。キャノンのワラントは、400万円で買ったものが一時200万円になったものの1年後に350万円ぐらいで売れたと思います。これは、キャノンの業績が驚異的に伸びていたのに助けられました。下げ相場であったのですが、キャノンだけは下げ渋っていたのです。

 結局、資金は、あっという間に数百万円となりました。
 しかし、そんなにショックではなかったと思います。簡単に1000万円でも稼げる実力があるのだから、すぐに取り戻せるさ、と思っていました。
 おまけに、仕事をしていたし、親元で生活していたので、生活には何の変化もないのです。
 パラサイトで独身貴族です。仕事さえすれば、全ては自分のお小遣いでした。
 当時は、投資の資金というのは、生活感の無いバーチャルなものに過ぎませんでした。

  • JP:最初は上手く逃げられたものの、バブル崩壊では損をされたわけですね。その後、どうされたのですか。

 結局、バブル崩壊前の上げ相場、というのに慣れていた、というより、それしか経験が無かったものですから、下げた相場は上がる、という方程式でずっと相場に臨みました。
 しかし、バブル崩壊後は、下げた相場は、ちょっとだけ戻すものの、結局はまた下げるんです。そして、新安値を取ってくる、そういう中で、資金はジリ貧を辿りました。

 私は相変わらず過去に勝ってきた押し目買いという観点から、これで巻き返しを図る、という希望を持って、投資にいそしんでいました。
 しかし・・・その必死の分析にもかかわらず投資成果は、散々でした。基本の戦略が間違っていたのですが、当時は全く気がつかずに、過去の成功体験にしがみついていました。

 そのことが原因で、これだけPCで必死で分析していたにもかかわらず、何故か儲からない日々が続いていました。

 当時は、下げ相場でしたから、底で買おうとするのですが、中期の押し目買い的発想では、週足ベースでも反転を買いマークとします。ですから私もそれにならっていたので、今考えると、色々分析していたものの、結局は、ある程度下げて、それが週足で反転した時に買う、というものを探していただけでした。
 しかし、下げ相場では、それは、丁度戻りとなって、再び下げとなる、2番底を付ける、ということになります。仕方が無いから、そこで投げる、そういう投資の繰り返しでした。

 そうして、細々と続けていた投資資金は、損を続けて、ついに百万円を割る、という事態になったのでした。ボーナスなどをつぎ込んでいたことを考えれば、バブル当時の資金は既に完全に底をついていました。完敗でした。

  • JP:その後、どうされたのでしょうか。というのは、それだけ損が続くと、もう相場をやめたくなると思うのですが。

 相場をやめたいとは思いませんでした。いつか必ず相場というものの本質を理解して、勝てるようになると信じていましたから。
 たしかに、私の周りでは、もう本当に死者累々でした。バブル前に一緒に活躍していた仲間も一人減り二人減り、となって、どんどんと投資家仲間はいなくなっていきました。
 でも、私は絶対に諦めない、そう思って相場にしがみついていました。

 相場が好きだった、ということもあると思います。

 しかし、そんなことを続けながら、時間は経ち、気がつけば、もうJPのソフトを買ってから10年が経とうとしていました。

  • JP:では、そうして損を続ける中から、どのようにしてプロになる転機が訪れたんでしょうか

 相場は、ずっと上手くは行かなかったものの、私は、そういう経験を積むことから、色んな発見をしました。失敗の経験を積み重ねていくことで、その反省から相場というものが見えるようになってきたのです。

 一番大きなものは、やはり、大きな相場の流れの重要性です。いくら、テクニカルでいいポイントであっても、川の下流から上流へボートを漕ぎ出すようなことばかりしていても、流れに押されるだけなのです。

 あるタイムフレームによるテクニカルによる売買というのは、戦術に過ぎません。戦術にいくら長けているとしても、大きな戦略に失敗していては、利益を出すことはできないのです。
 より大きなサイクルでトレンドを見る必要がある、ということに気がつきました。それは、日足で売買するなら週足であり、週足で売買するなら月足、ということになります。
より上のチャートが逆に走っているとき、下位のチャートの信頼性は低下するのです。

 2番目は、ソフトで幾ら良い買いポイントや売りポイントを指示してくれていても、結局、実際に売買するのは、人間ということなんだ、ということに気がつきました。

 問題は、株価が下がって、ソフトは、買いを指示してくれているのに、買うことができない。何故なら、もう株を既に買っていて、損をしているから、ということもあるし、株を持っていなくても、こんなに下がっているポイントということで、恐怖からちょっと待ってしまう、ということが多かったのです。

 結局、ソフトで指示してくれているポイントは、後から見ると、本当にいいところで買いを指示してくれていても、人というのは、それに従うことができないんです。

 ソフトが買い指示をだす。結構買いやすい局面だとします。ここなら、と思って買う。ところが、相場は反転して、また下げになってしまう。結局損をする。

 また、ソフトが買い指示がでる。ところが、今回は、急落で本当に恐いところだ。とすると、ちょっと待ってしまう。相場は、そういうときに限って暴騰する。
 結局、きちんとソフトに従っていたら、儲けていたのに、損するときだけソフトどおり売買して、やられてしまう。
 そういうことなんです。

 それから、逆張りのソフトの買い指示というのは、下げがピークを示したところで、買いサインがでるものです。これは、当たり前なのですが・・・

 ところが、そういうときには、投資家というのは、結構株を持っていて、四苦八苦していることが多い。そうなると、せっかくソフトで買いサインが出ていても、買うことなどできない。そういうことが起こるわけです。

 良いソフトを持っていても、結局利益に結び付けられない、というのは、こういうところから生まれてくるんだと、何度も何度も失敗して、体で覚えた10年間でした。

 そういえば、米国での統計で面白いものがありました。優秀なパフォーマンスを出している投資信託に投資している投資家の多くが、儲けられていない、という驚くべき結果があったのです。
 10年間で何倍にもなっている投資信託を買っている投資家の多くが損をしている、という統計でした。
 というのは、幾ら優秀な投資信託といっても、相場が悪くなると、やはり基準価格も下がってしまいます。その下げの中で、投資家はその投信を売ってしまう傾向が強いらしいのです。
 そして、相場が上がりだすと、また、その投信を買う。つまり、高値で買うわけです。そして、また、相場全体が下げると、恐怖に駆られて投信を投げる。こうして、10年間放置しておけば何倍にもなったものを、下手な投資行動をしたために、損する結果になる。そして、驚くべきことは、そういう人がかなり多いということだそうなのです。

 当然ながらこれは、テクニカルによる売買でも言えることでしょう。

  • JP:テクニカルによる売買では、何が重要なのでしょうか。

 テクニカルによるシステムというのは、その時点、その時点における確からしさを出す指標に過ぎません。過去のパターンに当てはめれば、そのポイントが、買うにはよさそうだ、という確率論です。

 相場は、そういうポイントで反転する確率が過去からのパターンとしては高い、というだけなのです。
 ここを勘違いして、絶対と思ってしまうと、失敗したときに、逃げることができなくなってしまうのです。

 また、一度や二度の失敗で、「もうこれはだめだ!」となってしまうのが人間です。しかし、確からしいというポイントであるのだから、何度かチャレンジしたら、必ず報われる時が来るのです。

 ポイントは、何度も失敗するかもしれない。だから、その失敗で、資金という大切な兵力を如何に温存して、次のチャンスに備えることができるのか、ということにかかってくるのです。

 小さく負けてさえおけば、次のチャンスで幾らでも取り返すことができるのです。

 投資家は得てして、その1回の売買が唯一無二のものだと思ってしまう傾向がありますが、その1回というのは、これからやる1000回の売買のたったの1回目に過ぎないということなのです。
 そんなたった1回の売買で全てを吹き飛ばすなんて、合理的に考えれば何とナンセンスなことなのでしょう。

 このように、1回1回の売買については、そこは過去に成功している確率的ポイントなのだから、何度かチャレンジすれば必ず報われるポイントだ、との認識をすべきであって、今回が絶対、とは、決して思わないことです。
 なぜなら、相場に絶対は無いからです。ただ、あるのは、これを繰り返せば勝てる、ということが過去の相場で検証されている、ということに過ぎないのですから。

  • JP:ところで、その過去の検証が次も有効だ、というのは、何故言えるのでしょうか。

 それは、相場というのが、群集心理から構成されているからです。
 パニックにおいて、群衆というのは、同じ行動パターンを繰り返します。その行動パターンをビジュアルに描いたものがチャートだという基本認識ならば、群集の繰り返し現れる行動は、チャートにも繰り返し現れると考えられるでしょう。

 ただし、そのポイントは点ではなくて、線だという認識が必要でしょう。
 何を言っているのかというと、ある一点というポイントではないということです。
というのは、群集心理によるポイントなのだから、次回はちょっとずれるかも、と思わないと、失敗してしまいます。
 だいだいここらあたりで、止まりそうだ、程度のあそびが必要なのです。ここは、ちょっと経験を積まないと難しいかもしれません。

  • JP:具体的にはどういうことでしょうか。

 例えば、移動平均乖離率で説明すると、前回の下げでは10%で下げ止まったとします。では、次回も10%なのか、というと、そうではなくて、10%前後なんだろう、ということです。毎回、相場の展開によって少しずつ違いが出るので、必ず10%というのではなくて、もしかしたら12%かもしれないし、8%かもしれない。そういう「あそび」がシステムには必要だと思うのです。
 なぜなら、恐怖の値なのですから、それぞれの局面に応じて少しずつ変化して当然なのです。
 しかし、一方で、人々が恐怖でパニックになるのは、概ねこの程度だということは、群集心理からわかるわけです。

  • JP:最後にこれだけは心がけているということはありますでしょうか。

 はい。私は、何度も大失敗をしているという過去の経験から、大失敗だけはしないように、という簡単ではありますが、そういうことを心がけています。

 といっても、わかりずらいでしょうか、ちょっと具体的に言いますと、要するにリスク管理をベースにして相場を張るということです。

 1つは、損切りの重要性です。どんなにここが底だと思っても、投げるべきところでは投げること、です。言うのは簡単ですが、私も何度も何度も大失敗して初めて身についたことでした。最初は全くといってできませんでした。
 「言うは易し、行なうは難し」とは、損切りにこそ言える名言だと思います。

 もう1つリスク管理のポイントだと私が考えているのは、単なる過去の経験則ではない大変動が仮に起きたとしても、その中で生き残っていけるようなポジションの取り方をする、ということです。

 私もプロの端くれですから、資金がなくなれば飯の食い上げになります。
 ですから、先ほども言いましたが、「単なる過去の経験則ではない大変動」・・・具体的には、巨大地震、気候変動、鳥インフルエンザ、大規模テロなどの脅威が仮にいきなり発生したとしても、生き延びることができるようにしか相場を張りません。

 意外にもこういう大変動、想定外という事態は、結構な周期で相場を襲っているのです。
 LTCMというヘッジファンドが崩壊したときにも、ロシア危機というのがありましたが、それはノーベル経済学者が言うには、統計上400万年に1度の出来事だった、そうです。
 しかし、現実には、それが起きているということなのです。

 こうして、「相場で死なないこと」「生き残っていくこと」を基本として、じっとチャンスを待ち、ここだと思ったところでサッと取って、サッと引き上げる。後は、知らんぷり、そいう相場を張ることを心がけています。

 相場レースというのは、サバイバルです。ヨーイドンでスタートした多くの投資家は、1年を待たずに消えていくのです。
 これは、鮭の稚魚のようです。川で生まれた鮭の稚魚たちが、海へ出て、数年後に川へ産卵で戻ってくるときに、1000分の1、10000分の1になっている、そういうことなのです。
 こういうことからも、生き残ることさえできれば、チャンスにめぐり合えます。
 先ずは、儲けることではなくて、生き残ること、これを考えるべきです。
 相場に必死でしがみついて、3〜5年も経験を積めば、相場で勝っていけるだけの知恵を習得できると思います。しかし、ほとんどの投資家は、この3年を待たずに消えていくのです。是非、生き残って、チャンスを待つ、という姿勢を身につけてください。

 私にとっては、ポジション=リスクです。ですから、できるだけポジションは持たないように、そういう心がけで臨んでいます。

 リスク管理に重点を置いて、ポジションを何も持たないで、ひたすらチャンスを待つ、そういうスタンスでいれば、生き残ることができるようになるでしょう。
 生き残りさえできれば、儲けるチャンスも出てくるのです。

JP:お話は尽きないようですが、今日はこのあたりで・・・今日はどうもありがとうございました。

2007年11月11日