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第270回 体勢立て直しに努力中<2/4>

 きのうときょうの下げで、信用顧客のポジションが急悪化しました。特に担保の現物株に占めるニチメン日商の割合が高い人は、ただでさえ余裕が小さくなっていたところに建て玉のハイテクや銀行の急落で、維持率割れの心配をしなければなくなりました。
 いま午後1時半。日経平均は1万500円をわずかながら割れており、もしこのまま終わるなら、株価のこじれ(上値への絶望感)がますます決定的なものになる恐れがあります。もっとも、仮にきのうと同じように終わりにかけて反転し、1万500円をキープしたところで、だからといって、現在の市場のムードを急変させるまでには至らないだろうと考えておかねばなりません。

 顧客から、下がったときこそ強気を言ってほしいとよく言われますが、@よほどでない限り資産の全部を吹き飛ばすような事態を避けたい、A強気方針がはずれた(曲がった)ときに意地になることは避けたい等の理由により、安易に強気を述べることはしないようにしています。
 最優先して考えていることは、もし不幸にして下げが続いたときに顧客の資産状況がどのようになり、それを踏まえていまどう対処すべきかということです。
 したがって、相場観的には目下思考停止に近い状態です。

 以上、簡単に近況をご報告します。


第269回(臨時)「週刊ダイヤモンド」の記事について<2/2>

 今朝発売された「週刊ダイヤモンド」に「日商岩井・ニチメン、追加損失処理で迷走する経営統合」という記事が掲載され、株価が20数円下落しています。
 記事は、日商岩井の含み損失で未処理のものが大幅にあり、追加損失処理の総額は「3000〜4000億円までふくらむ可能性」があり、今3月期中に「少なくとも1000億〜1500億円程度」の金融支援の必要がある、かつ「その負担の大部分は、UFJが金融支援というかたちで被るしかない」というものです。
 先週、「とらぬ狸の皮算用」という表題でこの銘柄についての私の大きな期待を書いたばかりですが、株でもうけるのは簡単だよとばかりに思い上がったつもりはさらさらなかったものの、形としては、鼻っ柱に痛打を食らい、一寸先の闇の怖さをあらためて思い知らされたかっこうになりました。

 もしこの記事が事実だとした場合、ニチメン日商の投資価値について、大きく評価を切り下げる必要があります。ただし、この記事からもうかがえる通り、メインのUFJがこの会社をいまさら見捨てることが不可能だとすれば、追加損失が大きく発生しても会社存続をただちに揺るがすものではないと考えてよいはずです。
 加えて、なんらかの形でUFJが支援を強化しなければならない事態になっても、ゼネコンやダイエー、大京などのように債務免除の見返りに減資を迫られる場合がある一方、オリコのように、メインバンクがすべての責任を負う形で、優先株による追加の資本増強によって切り抜ける場合があり、結果的には株価にとって必ずしも悪材料にならないといえます。

 ダイヤモンド社の記事では、一昨年秋から冬に合同製鉄の財務に対する低評価(つぶれそうな会社ランキングの上位入り)でさんざんに苦しめられた経験があります。今回の記事は、そのときよりは明らかに頭と足を使って書かれており、現時点で私に反論する余地はありません。もっとも、ダイヤモンド社の記事は、巨額の追加負担がどう発生するのかについて具体的な根拠に乏しいので、会社がむきになって反論する必要もないのでしょうが、できれば、2月6日に第3四半期の業績が発表されるので、そのときに財務内容についても反証になるような発表があればよいなと願っています。

 結論的に、本日時点で、先週述べたニチメン日商に対する中期戦略はまったく変更していません。ただし、信用取引でやや過大に持ちすぎている顧客や、短期的な資金効率を重んじる顧客の場合は、部分もしくは全株の見切り方針を採り、実行しました。
 株価は、実質的には超低位株であり、仮に追加の損失処理に迫られても、相当にその事態を織り込んだ水準といえます。企業の存続さえ保たれ、かつ通常業務によるキャッシュフローの黒字が維持されるなら、株価はいずれ上昇に転じると考えます。


第268回 とらぬ狸の皮算用<1/28>

 私はこの1週間、株の売買より税金対策で結構忙しく過ごしました。発端は、申告してもメリットがないと思っていた特定口座で利益を挙げた場合に、申告すれば人によって定率減税により最大で国税25万円の還付と住民税4万円の減少、合計29万円のメリットがありうることが分かったからです。現実には、減税の枠がある人は株の利益が少なかったり、株の利益の多い人は減税枠を使い果たしていたりで、期待できる還付額はせいぜい数万円の場合が多いのですが、顧客が実際に確定申告をするかしないかはさておき、事実だけは伝えておく必要があると考え、あらためて説明に奔走していた次第です。(扶養控除等にかかわる場合は、デメリットになる場合がありますのでお気をつけください)
 さて相場ですが、週初UFJショックで下げ、昨日米国相場が上げても上がらず、第一部市場の主力株が気迷い商状を続ける中、ジャスダックの株価指数の連騰はとうとう21日間に達しました。
 小型株がいいと分かっていても、ちょっとしたことで収益トレンドが激変してしまう新興市場株の銘柄選別(まして推奨)は難しく、一般の投資家や証券マンからは敬遠されがちです。といって、勝手を知っている第一部市場の銘柄では、デイトレーダーでもない限り売買しづらい局面が続いており、多くの投資家や証券マンのフラストレーションが高まっています。
 私は、第一部市場の一進一退には腹をくくっているものの、ここにきてニチメン日商が先週木曜日の高値617円から100円近く下げたことに驚いています。
 値動きだけ見れば、まるでUFJが別室に隠していた資料に、この会社の悪実態もしくは将来の不安材料が書いてあるのではないかと疑いたくなる動きです。
 しかし、実のところ、一喜一憂する気はまったくありません。強がりでなく、正直なところ、私はニチメン日商に大望を抱いており、目先の100円や200円の動きは捨ててかかっています。

 今日の表題の「とらぬ狸」とはニチメン日商のことです。以下に私の皮算用、というよりニチメン日商に賭ける戦略的な背景を述べます。

 現在の相場様相は、かねてから考えているとおり、90年代では93−94年の回復相場に類似しています。
 90年代では、95―96年相場が結果的には全面高、99−00年相場が二極化とはいえ勝ち組ならなんでも面白いほど上がる相場で、運がよければだれでも大もうけできました。それに対して、93−94年は知恵によって個別銘柄を選別しなければなかなかもうからない相場で、運よりも知恵が試されたといえます。
 私の顧客の多くは、2000年以降の下げで大きな痛手を負いましたが、幸いにして去年の段階で、合同製鉄などの利益によりパフォーマンスを回復しました。したがって、今年についてはやや余裕のある立場で運用目標を設定でき、基本的にはリスクをやや大目に負担してもらうようにしています。
 理想は、現在進行中の相場で大きな利益を蓄積し、より勇壮と予想される(95−96年や99−00年と類似する?)次の相場で、元本部分を安全にキープしつつ、できるだけ大きな自由部分で積極果敢な投資スタイルを実行し、資産のさらなるレベルアップを狙える体勢を整えることです。
 今次相場(今年前半に終了?)で、顧客資産のパフォーマンス向上のためにもっとも期待しているのがニチメン日商への投資部分です。
 私はニチメン日商への投資を、ある意味ではイチかバチかと考えています。その理由は、この銘柄に破綻の懸念があるということではなく、2割3割の利益はおろか時価から2倍になっても、売却する予定がいまのところないからです。本音をいえば、時価から3倍くらいの目標値を考えています。

 ニチメン日商をなぜ超割安と考えるかは前にも書きましたが、私自身のためにも、ここでもう一度整理してみます。(やや長くなります)
 統合前のニチメンはともかく、日商岩井は多大な含み損を抱えており、そのままで損失処理すれば多額ではないものの債務超過に陥ったと推定されます。しかし、統合新会社は、昨年5月、総額2800億円規模のエクイティファイナンスの払い込みにより、株主資本比率で約10%と伊藤忠並みのまずまず良好なレベルを回復しました。
 銀行主導による再生会社の中には、多額の債務免除を受けてなおかつ今後の収益予想を思いきり楽観的に設定して、無理にやりくりしたような再建計画を作成している場合も見られますが、ニチメン日商の場合は、統合前の両社が営業収益レベルでは安定した収益力を持っており、再建計画の構築に比較的無理がなかったケースと考えられます。
 UFJの出資は過半の1500億円であるものの、みずほなど主要銀行と商工中金を加えて2630億円の優先株、オリックスなど事業会社向けに70億円の普通株の他、ファイナンス計画のアドバイザーであるリーマンブラザーズ自らも80億円を出資(11月にさらに50億円追加)しており、UFJが都合の悪い資料を隠し、問題を先送りしているとは到底考えられない客観的な状況と思われます。

 冷静に考えれば、ニチメン日商の企業存続にはほとんど不安がなくなっています。しかし、昨年来の株価が、今回に限らずいったん下げ始めると下げが不安感をつのらせさらに下げを呼ぶ傾向があるのは、信用面での懸念もさることながら、株価が表面的には数百円という中位水準で表示されていることも大きく影響していると見られます。
 すなわち、丸紅が200円くらいなのに、赤字で劣等の商社がなぜ500円以上もするのかという素朴な株価判断をする投資家も多く存在します。しかも、その素朴な判断が市場に与える影響を無視できないと考える投資家は、自分自身はそれより合理的に考えていてもその判断に追随した行動に走ることになり、結果的に下げがさらなる下値不安を誘発するという構造になっていると思われます。
 旧日商岩井の株主から見れば、現在の株価は実質的に50円台であり、統合前の安値からまったく上がっていない状況で、その面からも実質的には超低位も株価水準だといえます。しかし、もっと合理的に言えることは、売上高や経常利益などの収益数値と時価総額を対比すれば、時価総額がきわめて小さく、株価はしたがってきわめて低い評価水準にあるということです。私見では、企業規模や収益の期待を反映していないという点では、類似の再生銘柄であるオリコはおろか、債務免除を受けた大京や長谷工よりさらに低い評価がなされていると考えます。
 株価が低い評価水準にあるということは、なんらかの懸念を強く織り込んで形成されているということですが、私は今年中のどこかで、この銘柄に対する評価が抜本的に変化し、したがって株価水準が大きく変化すると期待しています。その変化は、言い換えれば、この銘柄の株価形成の重点が、信用面その他の不安や懸念から、収益価値の見直しに向けて大きくシフトするということです。
 収益価値で見れば、この会社は3年以内に経常利益1000億円を目標にしていますが、仮に不幸にも現状の経常利益の水準で横ばったとしても税引後換算の実質1株利益は140円です。景況および統合効果を考えれば、会社四季報記載の05年3月期1株利益174円は実現性の高い数値でしょう。将来のことは所詮予想にすぎませんが、それはこの銘柄に限ったことではなく、商社の場合は収益予想に大差が生じる余地はむしろ小さいと考えます。過去の含み損や年金の積み立て不足の処理、リストラ損などの特別損失は今期で一巡するはずですから、今年5月の決算発表でに会社が発表する来期の予想利益は、よほどのことがない限り最終利益ベースでも相当に高い数字が出てくると考えておいてよいはずです。
 問題は、大量に発行された優先株の普通株転換による持分の希薄化懸念ですが、この問題は前述の再生企業のみならず、メガバンクにも共通します。悲観的に考えれば、優先株が全部転換されれば、持分は現在の5分の1以下に薄まりかねません。しかし、大部分が親密銀行向けに発行されており、かつ期限も20数年後に向かって分散されていることから、ほとんどが現金で償還され、大きな割合での希薄化にはつながらないと考えます。
 
 以上、ニチメン日商の皮算用について、今回は異例に長く書いてしまいました。日々の出来高から見て、株価が私のこの文章に影響を受けるはずがなく、買いあおりを目的としていないことはいうまでもありません。また万一、ニチメン日商への投資が諺どおりに失敗に終わっても、90年代と同様、いやそれ以上に2000年代中には挽回のチャンスが何度かあると腹をくくり、楽観していることもつけ加えます。


第267回 風に乗る<1/21>

 いま10時過ぎ、日経平均は39円安の11、064円です。
 昨日は、ソフトバンクが4000円を午前中に突破し、午後にはニチメン日商が550円の壁を突破し、動きに軽快さが復活しました。
 今朝の日経新聞は、銀行株の上値が重いことについて「10月の上昇相場に乗り遅れた銘柄」に市場の関心が向いていると解説していますが、ソニーのように去年の不人気銘柄を買おうとする動きがあることは事実だとしても、10月高値銘柄が見送られているという指摘は、ソフトバンクなどの値動きを見る限り事実に反します。
 問題は、今後の相場が、景気敏感株すなわち基本的には10月高値銘柄のリバウンド→高値更新の動きを主軸に展開するのか、それとも日経やその他多くの人が主張するように、去年とは異質の銘柄選別が行われ、まったく違った様相を呈するのかです。
 そのことは、大勢的な相場観にかかわることであり、おろそかにできません。私は、再三申し上げているとおり、現在を去年の続き(回復相場の第2ラウンド)と考えています。
  
 昼ごはんを食べて会社に戻る途中の路で、正社員の営業マンに出会い、さえないを顔しているので「調子はどう」と訊いたら、どうも相場に乗れなくて困っていると答えました。買うと高値になり、買わないと上がってしまい、悶々の毎日だそうです。
 麻雀ではありませんが、株にもたしかに運不運、つくつかないの流れがあり、悪い流れになると脱出するのが大変です。ただし、その運不運は自分自身が招いている部分も多く、焦らずにきちんと努力すれば、必ず切り開いていけるはずだと考えています。
 現在の相場は、一気呵成の急騰相場ではなく、押したり引いたりの長い相場ですから、くさらずにコツコツと努力を積み上げれば、必ずよい結果がやってくるよ、と励まして別れました。

 私自身の顧客ではありませんが、こんなお客様がいます。仮にAさんとします。
 Aさんは株が大好きです。ピークは阪神大震災後の建設株相場で、浚渫や中堅ゼネコンを5万株単位で軒並み買いまくり、最終的には相当やられました。
 私は当時ロームを勧めていたので、だまされたと思って1000株買っていたらとアドバイスしたのですが、「そんな値がさ(当時は3000円台)買えるかよ」と鼻にも引っ掛けませんでした。
 Aさんは結局、そのあともずっと建設株にこだわり続け、2000年のネットバブルのときは、建設の他は銀行株や低位株など、要するに二極化相場のつんぼ桟敷に置かれていました。
 このAさんが変身したのは、ネットバブルがはじけて、ソフトバンクや光通信が急落してからです。なんとソフトバンクはおろか、ソニーやローム、武田など有名値がさ株のファンになってしまったのです。一度持ち株表をちらっと見せてもらったら、ソフトバンクを除けばまるで投資信託か年金のポートフォリオのようでした。
 全国にはこのような投資家が大勢いるはずです。そして、私はこのような投資家が現在の持ち株を投げ、再度変身しない限り、去年から続いている相場の性格は根本的には変化しないと考えます。
 私見では、現在の相場が一段落した後に次に来る上昇相場(理想的には今年後半から開始?)は機関投資家主導の優良株相場になると予想します。

 理屈はともかく現在のような相場では、風に身を任せてしまうことも大切と考えます。業績相場の末期のように熱気ムンムンの相場ではなく、日々の動きを見れば、ぎくしゃくとして実に頼りなげな相場だからこそ、いちいち立ち止まり懐疑することは無益です。二極化であろうとなかろうと、魅力のある株が買われるのは古今東西の真理なのですから、自分の信じた株に賭けて、簡単には方針を変更すべきではないと考えます。


第266回 視界は不良なのか?<1/14>

 年末年始の間、平均株価で見ればそれほどでもありませんが、相当数の銘柄が躍動感のある上昇を演じました。昨日も日経平均は115円安だったのに対し、第一部の小型株指数は10日連騰、JASDAQは11日連騰と買い気の根強さを示しています。
 小型株の連騰は、一般的には次の事実を物語っています。
 @外部環境は比較的に良好(少なくとも、国際経済や金融システムを揺るがすような険悪な悪材料は見当たらない)
 A主力大型株の動きが鈍い(消去法的に小型株に投資家の関心が向かいやすい)
 昨夏の場合も、7月上旬に主力大型株が上昇一服となった後で10日ほどの連騰があったと記憶しますが、もっと鮮烈に思い起こされるのは、99年の年末年始のことで、翌2000年の壮大な高値に向けて、ソフトバンクや光通信、ファーストリテイリングなどが上昇を開始したその初動期のことです。
 98年10月に銀行をはじめとする主力株が底入れしたものの、11月には早くも上げ一服となり、翌年1月初めには日経平均で前の安値ぎりぎりまで再び売られました。この年末年始に店頭市場など小型株のジリ高が出現したのです。経済環境は違うものの、銘柄を選ぶ投資家の心理の上で当時と今に共通点を感じます。(ちなみに、99年の場合は、その後3月に主力株の躍動的な上昇局面が到来しました。ただし、現在は当時とは相場の質が根本的に違うので、主力株に当時のような大幅上昇は期待しにくいというのがかねてからの私の意見です)

 大発会から今日で7営業日ですが、銘柄選択による明暗は歴然です。ソフトバンクのような例外もありますが、大型株は暗、小型株は明です。そしておそらくこの傾向は今後も基本的には継続する可能性が高いと考えます。
 そのような現象を生み出す構図は、およそ次のようなものではないでしょうか。
 昨年4月が日本株の大底であったことはほぼ確実です。そして5月から10月までは金融(回復)相場の第1ラウンドと考えられます。その局面では、経済の先行きに対し、強弱感がぶつかり合い、特に最初のピークの7月上旬には空前の出来高を現出しました。
 それに対し、11月以降は第2ラウンドに入ったと考えられます。もはや経済の先行きに対し極端な悲観論は影をひそめ、回復の度合いと株価の割高割安が市場の焦点に移行し、強弱感の対立は第1ラウンドほど鮮烈なものではなくなりました。
 例えば、今日の日経金融新聞に「世界同時株高にリスク」という文章が載っており、米国経済や中国経済の暗転をリスク要因としています。しかし、だからいまの株価は高過ぎると主張しているわけでもなく、強気一方では万一のときが心配だとただ漠然といっているに過ぎないように読めました。そもそもリスクのない株高があるはずもなく、問題は、だから売りと判断するのか、それとも買いと判断するのかです。その点で、この記事と同じく、現在では市場参加者の大半が一時と比べて、売りか買いかでスリリングに悩む緊張感を失っているように感じられます。
 その結果、主力株したがって平均株価の動きにダイナミズムが失われ、ただ漠然とした気迷い感と膠着感が漂うのは避けられません。夢よ再びで、外人の大量買いによる火柱高を期待する人もいますが、主力株がある程度水準訂正を果したいま、一時のように成り行きで買い上がるほど焦っている外人はなかなかいないはずです。
 外人買い越し、金融法人売り越しという構図は変わらないものの、ともに株価上昇に合わせて徐々に様子見ムードを強める中、国内の機関投資家が日和見を決め込むのはやむをえません。残された個人投資家の多くは、あーあ、なんで連中は買わないんだよとぼやきながら、自分自身も高値つかみに懲りて、手出しできません。
 このような中で、あえて買い注文を出せるのは、よほどの株キチか、よほどの信念のある投資家だけです。
 信念のある投資家にとって、有名で流動性の大きい銘柄であるかどうかは決定的な問題ではなく、割安か割高かという次元で見れば、大型株よりほとんどつねに小型株に分があります。ましてや経済の回復期は、小型株のリスクプレミアム(負)がどんどん縮小していき、期待感への正のプレミアムに変化しかねない時期です。
 以上のような構図により、小型株有利は金融システムの第2ラウンドでは必然であり、大型株の躍動感ある上昇のためには次の相場(業績相場)を待たなければならないと考えます。

 今日の相場は、日経平均110円強安から現在31円安と戻り、NEC、ソニーに続き主力株はプラスの銘柄が増えてきました。
 上記の意見にもかかわらず、昨日今日の主力株は買いと判断し、一部のお客様に買ってもらっています。昨年末から、やや小型株に偏重していたあるお客様には、みずほ、野村証券、アドバンテスト、ソフトバンク、住友鉱山の5銘柄を「積極型主力株パック」と称してほぼ等金額で買ってもらいました。
 「方向感がはっきりしない限り、なかなか買えないよ」という人がほとんどですが、リスクのない相場がないように、視界のよい相場など(つかの間そう思えるだけで)本来は存在しないはずです。その点で、いまは市場に気迷い感がたちこめている分、報われる可能性が高いはずです。
 魅力は相対的に低くても、主力株にだってまだ十分に上値余地がある、ましてや小型株は!――というのが私の現在の相場観です。


第265回 緩やかな転回<12/24>

 NYダウや欧州の株価指数が連日新高値を更新しつつある中で、日本の株式市場は驚くほどマインドの低い状況が続いています。
 いま9時15分。日経平均は早くも16円安と反落し、私の顧客のコアストックであるニチメン日商が月曜に引き続き売られ、17円安の430円と10月の794円をつけて以来の安値を更新しています。
 株価が下落する、あるいは低迷するという現象は、普通はファンダメンタルズや需給要因上なんらかの問題点があることを示唆していると考えるべきでしょう。しかし、再三申し上げている通り、私は11月以降、日々の株価の動きは、多くの場合において、本質的にはなんの意味も持たず、いちいち考えるのは無駄だという考え方をしています。
 先週、どうせなら下げ率の大きい銘柄のほうが妙味があるのではないかということで、一例として挙げたソフトバンクは、そのときの3160円から月曜には2770円の瞬間安値を記録しましたが、今朝はほぼ同じ値段に戻っています。公募価格を意識し「てこ入れ」ではという観測もありますが、もともと「公募→売り」の連想だけでふらふらと下がった株価ですから、ふらふらと上がってもなんの不思議もないと思います。

 先週、ゴングはすでに鳴っているのではないかと述べましたが、それにしても目先の株式市場の無気力ぶり、株価の上げ下げにあまり意味を感じられず、頑張っているのは1カイ2ヤリの人ばかりという現状は情けない限りです。
 おそらく、日経平均が1万500円を超えれば市場の活気が戻るのでしょうが、モヤモヤした感じは残ると思います(そのへんのところは12/3「気分はふわふわ」で私見を述べさせていただきました)。
 トヨタやキャノンを喜んで買うようなタイプの投資家や、インデックス通りでよしとするパッシブな投資家を除けば、大多数の投資家がいま迷っているのは、相場が上か下かもさることながら、それ以上に「何を買えばよいのか?」ということだと思います。
 日経新聞の最近の相場記事は、ボロ株の相場が終わり、優良株が買われる相場になろうとしているという観測を色濃く反映しています。実際そう考える相場関係者が多いのでしょうが、もしそうだとすれば、新年の相場では、大きな上値は期待できそうもありません。なぜなら、トヨタはPER13倍、武田が14倍、キャノンは16倍と、超優良株のPERは数字的には低いものの、事業の抜群の安定性を考えれば、PERの上ぶれには一般銘柄以上の限界があるからです。
 すなわち、もし新年の相場が、債券格付けがトリプルAになるような銘柄群が選好される相場になるのなら、株式市場のダイナミズムは復活せず、また当然ながら日本経済の本格的な反転も期待できないはずです。しかし逆に、今年活躍した銘柄群(一般に業績が不安定で、高い変化率を期待できる銘柄群)が再び大きく買い直されるなら、日本経済の回復は本物であると確信してよいでしょう。
 私の考えが後者であることは申し上げるまでもありません。今日の日証新聞に「金融危機の再燃」の可能性を相変らず主張する文章が載っており、先行きについての考え方は人様々ですが、経済の動きを素直に見れば、緩やかで大きな歴史的転回を感じるのは私ばかりではないでしょう。
(年末年始につき、次回は1月14日頃の予定です)


第264回 ゴングはいつ鳴るのか?<12/17>

 日本の株式市場は、かつては明らかに非合理的な投資行動によって、かなりの割合を形成されていました。お先棒をかついだのは4大証券と準大手証券で働く、日々ノルマに追われて新聞さえろくろく読んでいない証券マンたちですが、投資家自身、特に機関投資家や事業法人・金融法人の運用担当者たちの意識・能力の低さは眼をおおうばかりであったといって過言ではありません。
 私の知っているある金融機関の運用担当者は、長年その部署に携わってきたことから運用のベテランを自認していましたが、その実、深い知識や本当の判断力は何もなく、趣味がゴルフで性格が慎重(というより因循)である他には、特にとりえのない普通のサラリーマンでした。証券会社がよってたかってあたかも運用のプロであるかのように彼を持ち上げ、彼はただ証券会社が持ってくる新発CBでポケットを潤し、「もうけ話」(相場操縦プラン)に適当に資金を提供し、ときたま「おつきあい」(ノルマ消化の手伝い)をしていればよかったのです。
 現在でも、証券マンのほうはそれほど進歩したとは思えませんが、少なくとも法人側の無責任な運用担当者は淘汰され、個人投資家の意識も格段にレベルアップし、株式市場はかつてとは比べものにならないほど投資家自身の叡知をぶつけ合い、成果を競い合う場所になってきたと考えます。

 しかし、そのうえで申し上げたいことは、日本国内の投資家のうち、多数意見あるいは常識的な意見に対して、あえてNOと言える人がまだ少ないということです。言い換えれば、合理的な考察結果とリスクを天秤にかけて決然たる行動をとれる人が少ないということです。
 国内の機関投資家は、ネットバブルの頃こそ元気に満ちあふれていましたが、今年春の日本株の大底時に自分自身が考えた意見を堂々と述べられた人は、さわかみ投信の社長などごく数えるばかりだったのではないでしょうか。ほとんどの人は「代行返上売り」とまるでお題目のように唱えるばかりでした。
 個人投資家も、様々なタイプが百花繚乱の形で勃興してきたことは大変に喜ばしいこととはいえ、市場の流れに対してあえて反対行動をとれる人はまだ少数です。株価に対して順張りというより、市場のムードに対して順張り(すなわち、長いものには巻かれよで大勢順応)のタイプがほとんどです。
 その結果、今年後半は日本株の底入れ傾向が鮮明化し、実体経済も株価回復の正当性を事後的に裏づけたにもかかわらず、投資主体別では、国内の全セクターがほぼ一貫して売り越しの形のまま今年が終わってしまいそうです。
 個々の投資家には様々な考え方があるとはいっても、総体としての国内投資家が、もしかすると数十年に一度の反転かもしれない相場底入れの兆候に対して、弱気というより模様眺め気分の強い態度に終始してしまったのは、非常に残念なことといえましょう。

 今日は、相場が始まる前からこれを書き出し、途中で電話したりして、いま10時半。相場は米国株高にもかかわらず伸び悩み、日経平均は100円安まで下げてきました。しかし、平均株価の上げ下げで一喜一憂しても仕方がない状況は、この数週間ずっと続いています。そして、個別株のほとんどは平均株価につれてメダカのように並んで上下動しているだけですから、上げ下げに神経質になってもプラスはありません。
 今日の株価が上がるか下がるかは問題ではなく、問題は唯一、日本株はいつどのような形でどの方向を目指すのか? ということに尽きます。

 一般的にいって、国内投資家の動向としては、日経平均が1万500円を超えれば強気が台頭し、9600円を割れば弱気がますます優勢になると見られます。
 したがって実は、一昨日は私もこれで相場も陽転かと考えました。終わってみれば、その500円の壁にみごとハネ返された形となり、今日あたりは、絶望感さえ漂っています。
 しかし、私はこう思うようになりました。
 4月の底入れ、5月の反転上昇、6月の強い上げ、そのいずれにもゴングが鳴り響いたわけではありません。特別なニュースが出たり、特別な急反発・大幅高があったりしたわけではないのです。この点、90年以降のたいていのリバウンドとは違います。
 とまれ、いつの間にか始まった上昇相場は、9月から10月にかけて国内にも徐々に強気が増加し、市場が楽観ムードに傾きかけるのとともに目先のピークを打ちました。しかし、相場が終わったのではなく、間もなく上昇に転じ、結果的に右に傾いた大きなN字型の相場波動になると考えます。
 おそらく第2の上昇は、第1の上昇よりもさらにいつゴングが鳴ったのか分からない形で始まる可能性が強いでしょう。もしそうだとすれば、現在を後から振り返れば、すでに上昇波動が始まった真っ只中に位置していても不思議ではありません。(もちろん、日経平均が11月の安値を下回らないというのが大前提です)

 ゴングが鳴るのを待っていても、おそらくゴングの音は聞こえません。今後の相場は、ゴングといういわばお告げ(相場大勢の明確な変化)を気にする人には曖昧模糊のままに進行し、自分自身の判断を大切にしなければ、いつまでたっても模様眺めせざるをえない状況が続く可能性が高いと考えます。
 私は昨日こそちょっとがっかりしましたが、今日の下げ(前場の日経平均は143円安の1万127円)を見て、かえって強気比率を上げたいと思い始めました。
 主力株では、ここにきてもっとも強いみずほも悪くはありませんが、それよりも10月からの下げ率の大きいソフトバンク(3170円)や大和証券(661円)に素直に強気したいと思います。


第263回 PERは高いのか<12/10>

 今朝は日経平均が再び1万円割れとなりました。もっとも、現在の地合いは1万円がどうのこうの以前で、昨日のように平均株価がプラスでも、だからどうなの?って言いたくなる位、しらけきっていますよね。
 今朝の日経新聞に「株価、割安感薄れる」という見出しで、機関投資家や証券会社の株式担当者にアンケートした結果、妥当PERを20倍と考える回答が半数を占め、現在の日本株の予想PERが23.5倍に達していることが「こう着相場の一因に」なっていると結論する記事が掲載されています。
 これを見て感じたことの第一は、日本の平均株価の妥当水準がPERで論議できるような状態になったことに隔世の感があるということです。
 80年代に日本の平均株価がPERでは全然説明がつかない水準(50〜60倍)に高騰して以来、90年代に入っても、PERは下がるどころか業績悪によってますます上昇し、最悪期は100倍を超えたと記憶します。割高かどうかはさておき、ともあれ常識的なPER水準に復し、国際比較できるようになったことは大変に喜ばしいことです。
 感じたことの第二は、個別企業ならともかく、市場平均の妥当なPER水準を質問するアンケートにいったいどのような意味があったのかということです。
 第2次大戦後、日本を除く先進国のPERがおおむね10倍から20倍程度で推移しているのは歴史的な事実です。記事中にもあるとおり、在来産業の妥当PERはせいぜい15倍というのが国際的な常識ですから、「妥当PERは?」と聞かれれば、たいていの人がせいぜい20倍と答えざるをえないのは理の当然です。
 PER水準が低かったものが高くなったのならともかく、その逆でむしろ割高感がびっくりするほど薄れたと考えるべきなのに、恒例のアンケートに愚問に近い項目をわざわざ追加し「割安感薄れる」と結論づけるのは、まず最初に結論ありき、もしくは牽強付会の文章というべきではないかと私は思います。

 もっとも、およそ20年間にわたって、PERにこだわらず、おうおうにして楽天的に株価を形成してきた日本株市場が、ここにきて急速にシビアな傾向を強めていることは、まぎれもない事実でありましょう。
 90年代の半ば頃まで、日本では国際優良株やハイテク株が低PERで取引される反面、銀行や国内のボロ株は平気で高PERのまま取引されるという異常な逆転現象があり、後半にはその反動で、不自然なまでの優良株偏好の二極化現象が生じました。私の感じるところでは、現在の株価形成は、ボロ株対優良株、あるいはハイテク株対在来株の株価バランスがかなり適正化されており、個別銘柄で見ても、合理的な株価形成が相当程度にいきわたっていると思われます。(建設株が軒並み1000円台に買われた95年や兼松日産が5000円台まで買われた96年当時と比べればまさに隔世の感です)
 そのような中、日本株の平均PERが国際比較ではまだ割高という意見が台頭していること自体は歓迎すべきことですが、ともすれば合理的な考察の結果というより、単純な数字上の比較が一人歩きしているような傾向があるのはいかがなものでしょうか。
 いうまでもなく、PERはたかだかひとつの目安に過ぎず、株価が割高か割安かを判断する絶対的な尺度ではありません。各国の平均PERは、その国の経済のトレンドや景気動向に加え、地政学的なリスクや金利水準などで、様々であってしかるべきでしょう。

 日本株の平均PERが23倍台で高いと感じるか、安いと感じるかはおよそ次のような項目をどう考えるかで大きく変わってきます。
 @日本のGDPの微回復は、米国景気に依存した一時的なものか、それともトレンドの変化を期待させるものか?
 A日本企業の利益の回復は、人件費の節減などコストの低下によるものが大きいのか、それとも鉄鋼産業に示される通り、供給過剰が正されつつある結果といえるのか?
 B不良債権問題はまだ先送りされているのか、それとも金融システムが久々に前向きに機能する期待が生まれつつあるのか?
 C中国の伸長により、国際分散投資において日本経済と円は重要性を失うのか、それともますます重要なものとなりうるのか? (もし、重要性を失わないとすれば、日本の金利水準から見てPERは割安とさえいえる)
 以上の?について私がどう考えるかはいちいち書きません。私は日本株に投資価値と投資魅力を感じます。ただし、多くの日本人投資家が慎重であるあまりに株の価値に自信を失い、1カイ2ヤリにしか魅力を感じない現状では、勢い込んで相場に臨んでも簡単には成果が挙がらないだろうと覚悟しています。
 投資家が再び自分自身に判断に自信を持ち、市場が株を欲しがりだすまで、それほど長期化しないだろうとは思いますが、当面は冬ごもりのスタンスでやっていくしか仕方がないと自分に言い聞かせています。


第262回 気分はふわふわ<12/3>

 予想されたことですが、日経平均の戻りのわりには一般投資家の気分は晴れ晴れとしません。昨日は出来高は10億株を回復したものの、われわれの部屋の電話が鳴る回数は少なく、こちらがかける電話の声にも張りがありません。
 日経平均は11月19日の安値9614円から昨日の終値10410円まで8.3%上昇しました。それに対して個人好みの代表的なハイテク株であるソニーとNECは需給悪化懸念で見送られたものの、松下や富士通の上昇率が10%前後、証券の野村や大和が14%前後、ソフトバンクが20%と順調な上昇率を示し、銀行株にいたってはみずほの34%など急回復しています。
 それにもかかわらず、投資家の気分がぱっとしない理由は何なのでしょうか? 
 第一にいえることは、10月後半からの急落で積極的な投資家の多くが評価損を抱えたことです。日経平均ではたかだか14%の下落でしたが、個人好みの人気株の下落率は、ソフトバンクの半値以下は極端としても軒並み30%以上です。
 例えば、ポピュラーなところで、大和証券を1000円近くで買った投資家は、あっという間に639円まで下げて肝を冷やしたわけですが、その後730円台まで戻ったからといって、気分が明るくなるわけではありません。
 しかし、それ以上に本質的な要因は、私の考えでは、投資家の多くが株価というより日本経済の先行きを予想する上で、強弱のメリハリを見失ったかのような宙ぶらりんの状態にあることだと思います。半年前には、大銀行の破綻→事業会社の倒産続出→大失業時代という形で日本経済の暗い未来を容易に想像できました。現在ではそのように明確な形で「陰」の極を想像できない代わり、「陽」の極もはっきりせず、株価にしろ実体経済にしろ、先行きには明るくも暗くもない、ただ漠然とぼんやりしたものがガスのようにたちこめた状態にあるといえます。
 それ以外にも、イラク問題など国際情勢、米国株が戻り高値更新中とはいえモメンタムの見定めがたい状態が続いていることなど、投資家の気が晴れない理由はありましょうが、上に掲げた強弱のメリハリを見失ったかのような状態こそ、投資家のマインドを削ぎ、買いたくも売りたくもないふわふわとした気持の元凶になっていると考えます。

 思えば、半年前には、日経平均は7千円台で底を打ったのだという強気と、いやいや甘いよ、デフレの深刻化で株はまだまだ下がり続けるという弱気で、明確な対立がありました。人と人が強弱に分かれて対立したというより、人それぞれの内心で、底割れへの不安と底打ちへの期待が強く葛藤していたといえます。
 ところが、秋口以降は、多くの人が日本株が底割れするとは思わなくなりました。ドイツの武者氏は相変らず弱気を主張していますが、米国経済の暗転を前提にしており、いかに武者氏が弱気でも日本独自の要因、国内の景況や企業業績や金融システムなどからは株価の底割れを想定するのが不自然な状況になったのは明白でしょう。
 だれもが弱気ではなくなったときに10月の急落は起こりました。これを見て「流動性相場は終わった」(あるいは「モラルハザード相場は終わった」)したがって今後は若干の調整をへて「個別企業の業績を重視する業績相場に移行する」と論評する人がいますが、この認識は間違っていると思います。
 まず、第一に、景気先行の金融相場がわずか半年で景気謳歌の業績相場に移行するなら、実に忙しい景気変動であり、いまの鈍重な日本経済に似つかわしくありません。第二に、不安感の強い金融相場だからこそ、この半年間の相場は神経質なほど個別企業の業績や内容にこだわったのであり、この半年間に大きく上昇した銘柄を検討すれば、モラルハザードが相場の本質だったというような認識にはなりえません。逆に業績相場のほうこそ企業業績全般に楽観的な相場なのですから、個別企業の業績にはそれほど神経質でないはずです。第三に、まだ金利上昇がまったく考えられない日本経済のいまの状態で、業績相場のような楽観的で寛らかな相場がすぐにやってくるというのは、それこそ楽観的に過ぎる見方でしょう。
 私見では、10月の急落は、金融相場の途上だからこそ起こったと考えます。半年前のように険悪な不安感はなくなった、その結果、株価は上昇し、少なくとも底値圏ではなくなった、しかし、一方で、経済の先行きに対して大きな希望があるわけではなく、楽天的に株価の上値を買い上がる気にもなれません。「陰」の極の薄らぎは、「陽」の極がぼやけることでもあります。10月半ばのネット関連株の高騰は、全体相場の手詰まり感の裏返しであり、ソフトバンクの急落は全体相場の急落にただちに結びつきました。
 
 いま多くの投資家の胸中に巣くってしまったこのふわふわとした気持、株価が高いのか安いのかどちらにも感じず、経済がよくなるのか悪くなるのかどちらにも感じず、ただ単に漠然としたぼんやりした気持、この状態に変化が出るのはいつでしょうか?
 私の想像では、仮に近々に日経平均が1万1000円台を回復し、新高値をうかがうことになっても、この状態に大きな変化は生じないと思われます。
 実は、明確な不安感はないものの、株価がぐんぐんと上値を追うとは考えにくい現在の状況は、金融相場の第2ラウンドの特徴なのではないのでしょうか。私はこの状態は相当に長く続くと考えます。
 歴史を遡れば、昭和40年に証券不況の底入れを果したあとも、多くの株価の動きを見る限りはかばかしくない動きが続いており、おそらくいまのようなふわふわした気分が漂っていたのではないかと察せられます。
 しかし、後になって考えれば、そのようなときこそ市場のダイナミズムは徐々に貯えられており、ソニーや大和ハウスなど経済の新潮流に適合した銘柄のパフォーマンスは、結果的には3年で約30倍というものすごいものになっています。
 今後の日本で数十倍になる株価がそう簡単に出現するかと思われるかもしれませんが、成熟経済だったはずのアメリカで、90年代には株価数十倍が輩出したのですから、もう絶対にないとあきらめる必要はないでしょう。
 日々の株価は多くの銘柄は平均株価の上下につれ無気力に揺れ動くだけであり、強弱のメリハリや緊張感もなく、ふわふわした気分で毎日が過ぎている現状です。しかし、そのようなときだからこそ、やや長い目で躍動感ある上昇を期待できる銘柄をじっくりと選ぶべきときだと考えます。
 時は金なり。普通は短期売買の勧めで使う言葉ですが、私は上述の意味で自分に言い聞かせています。


第261回 銀行の浮上<11/26>

 大手銀行の決算が発表され、一般的には、大手銀行の「不良債権処理による損失は一段落した」(HSBC野崎氏)という安心感が定着するものと思われます。
 発表を受けた今朝の銀行株相場は、小安く始まっていますが、買い気配で始まってしぼんでしまうよりはずっと望ましく、もしかしたら最高の始まりかもしれません。いまの相場は、もともと疑心暗鬼が身上であったところに、無残な急落を経験した直後ですから、進軍ラッパが鳴る中を勇猛果敢に買い進まれるはずがなく、深さの分からない河を渡るように、みんなで少しずつ足場を確かめながら、恐る恐る進んでいく相場であり続けるしかないのでしょう。
 一喜一憂するわけではありませんが、いま9時半、書き始めたとき小安かった銀行株が小幅高に転じ、日経平均も90円高となりました。

 バブル崩壊後、92年頃から10年強にわたって金融システムを揺るがし、日本経済を萎縮させた最大元凶が、銀行、特に都銀・長信銀の抱える不良債権だったことは明白です。   したがってもし、4大銀行の不良債権問題に解決の兆しが見えてきたのなら、それは日本経済全体に歴史的な転回が始まった証左として重大に受け止められなければならないはずです。しかし、にもかかわらず、多くのアナリストの意見は、もっとも著名な上述の野崎氏も含め、不良債権問題には目途がたってきたが、合理化による経費率の削減がまだ不足という言い方で、収益力の評価に力点があり、私にはピントがぼけているとしか思えません。
 大銀行の不良債権問題に目途が立つということは、日本経済のデフレ・スパイラルが終焉し、長年の株価の右肩下がりが修正局面に入ることと同義と考えてもよいはずです。
 焦点はあくまで不良債権処理についての見方です。そして、様々な見方をする人がいて相場が成り立つのですから、不良債権問題はまだまだ泥沼だと考える人がいても、それはそれで存在意義があるといえます。その意味では、次に紹介する意見は、賛成はできないものの、核心に触れた議論だと考えます。

 今日の日本証券新聞に、「ついに迫る銀行国有化」という大見出しで、あるわりと有名な経済評論家の意見が掲載されており、「竹中経財・金融担当相の最終目標は来年3月期のメガバンク国有化だろう。そうなれば、来年度の日本経済は大バーゲンセールで焼け野原になる」と述べられています。
 最初は、目を疑い、間違って1年前の新聞を読んでいるのかと思いました。しかし、りそなの損失計上のことや一部地銀(あしぎん?)の国有化観測のことに触れられており、間違いなく直近に書かれたものです。来年3月までにメガバンクが国有化されるというのも現在では驚くほど珍しい意見ですが、そのあとの「日本経済が大バーゲンセールで焼け野原になる」というのも信じられないほど頑固な意見です。
 つぶすものは徹底的につぶさなきゃいかん、と言い放つ人は有名な木村剛氏はじめ多く存在します。しかし、言うだけなら簡単ですが、現実にはつぶすことは難しく、存在意義に疑義のあるゼネコンでさえ大半が生き残っています。ゼネコンよりは競合過剰ではなく存在意義を見つけやすいオリコや日本信販なども当然ながら生き残りました。焼け野原になることの是非はさておき、現実にはそうはならずに金融の秩序が回復されようとしている状況の中で、いまさら日本政府が政策を転換し、焼け野原を志向すると考えるのはどう考えても不自然です。
 それに、この評論家がメガバンクの国有化が必要という論拠に挙げているのは、りそなが多額の損失を計上したこと、および近々一部地銀の国有化観測があることなど、ほとんど単なる類推でしかありません。私見では、現在多くの人が銀行に感じている懸念や不満は、かなりの程度において、気分的であり、固定観念に影響されていると思えます。

 去年の今ごろは、メガバンクのうち、少なくとも2つは自力では生き残れないという見方が一般的でした。収益力がどうのこうのではなく、処理しきれない不良債権が膨大に隠れており、不良債権の表面化により自己資本が吹き飛ぶと見たからに他なりません。
 しかし、今回の決算を見る限り、そのような見方は変える必要があります。4大銀行はいずれも国際業務に必要な8%の自己資本維持に対して約3%、金額にして2兆円近い余裕を持っており、近い将来にそれ以上の引当て処理を強いられると考えるのは無理があるのではないでしょうか。もちろん、平均株価が急落し(それだけなら、みずほは日経平均5000円まで耐えられるとコメント)かつ融資先企業の業績が急悪化するなら話は別ですが、それはあくまで杞憂に近い想定というべきでしょう。
 むしろ銀行の自己資本比率を根底から揺さぶる可能性が高いのは、繰延税金資産を政策的に大幅に削減されることですが、繰延税金資産のうちかなりの部分は、本来はただちに還付されてしかるべき性質のものであり、仮に政府が意図しても、民主主義のうえからは削減に限度があると考えるべきでしょう。みずほの場合で、繰延税金資産が自己資本比率を引き上げているのは4.6%なので、仮に来年3月の本決算時点でりそなと同じく5年分を3年分に削減されても、対応可能と考えられます。(私は削減する必要はまったくないと考えますが)

 銀行株は、バブル崩壊後も割高に取引されてきました。99年になってなお大手都銀が2000円近く、あさひ銀行でさえ1000円近くまで、不良債権どころかPERまで無視して買われていたのは異常といわねばなりません。それに対して、今回の決算では、特殊要因があるとはいえ、トップ銘柄の三菱東京で予想1株利益6.6万円に対し時価はPER12倍の水準であり、特殊要因を除去した実質1株利益で考えても、メガバンクのPERは20年来になかった割安水準にあります。
 今後どのような株価推移になるかは予断を許さないとはいえ、半年後の通年決算の発表に向けて、メガバンクの株価がまだまだ相当な上昇余地を持っており、市場全体の一段高を牽引していくだろうと私は考えます。
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