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第320回 なぜ株をやるのか?<1/26>

 なぜ株をやるのか? その質問は、いま絶好調で、さあ今日もまた儲けるぞ!と張り切っている人から見れば、愚問そのものでしょう。しかし、一方で、NECや野村証券などの評価損に頭を抱えている人や、売買がうまくいっていない人にとっては、いまいましく苦々しくこみ上げてくる疑問ではないでしょうか。
 今朝の日経の「大機小機」というコラムに「株価は寝て待て」という文章が載っていますが、目先一喜一憂しても仕方がないよと頭では分かっていても、なかなか達観できるものではありません。
 「株なんかいっそ止めてしまいたい。君が私の前にいなければ、どんなにせいせいするだろうなあ」とかつて私に向かって愚痴った顧客もいました。

 株はいうまでもなく儲けるためにやるものです。しかし、アルバイトのように、やれば必ず報酬をもらえるというわけではありません。値動きを見ていて真剣に売買すればだれもが儲かるというものではなく、情報を仕入れたり分析したりすればだれもが儲かるというものではないのです。それどころか、短期売買を重ねて大損をする人や、高い情報料を払ってこっぴどく損をする人や、パソコンでありとあらゆる株価分析を行ってなおかつ損をする人は枚挙に暇がありません。
 株は儲かるどころか、むしろ損をする確率のほうが高いのではないか? そう感じたことのある投資家は多いはずです。証券営業マンの中にさえ、株はやれば損をするもの、自分では絶対に手を出したくないと思っている人間が存在するのですから。
 私自身もときどき、いったいなぜ株をやっているのかという徒労感に襲われかけることがあります。儲けようと思ってがんばってみても、儲けたり損したりの繰り返しでは、所詮運任せじゃないか。好きで自分自身のお金を運用する分はともかく、他人様に「運用のアドバイス」などする資格があるのか・・・・など。

 たとえば、このところ一生懸命顧客に勧めたアルバックです。日経の業績記事もあり2500円台に上昇したものの、ナスダック安で下押ししたのは仕方がないとして、ソニーやエルピーダなどハイテク企業の減額修正が続くと、急にこの銘柄だって業績が急悪化するのではないかという不安感に襲われました。
 バリュー系の銘柄でしたら、業績が急悪化してもPBRが低いため、ブック・バリューからある程度の下値安心感がありますが、グロース系の値がさ株は、業績が悪化すると目も当てられません。顧客に迷惑をかけた過去のいろいろな失敗を思い起こし、理性を別にして気持が動揺してしまったのです。
 (理性的に考えれば、現在の第一部のハイテク株は半分以下というような大きな下値は想定しにくい水準に下落しているものが多く、アルバックの場合も12月末現在の1株純資産は推定1680円あり、PBRは1.5未満ですから、騒ぎたてるほどの下値不安はないのですが)

 株で儲けようとあれこれ努力している人間にとって、その努力を嘲笑うような理論があります。効率市場仮説というもので、株価はその時点で判明しているすべての情報を織り込んでおり、将来の株価はランダムに動く。したがって、テクニカル分析やファンダメンタル分析により株価の予想をすることは無駄だという主張です。
 (現実の市場では、短期売買で財をなす人や、バフェット氏のように長期にわたって好成績を収める人が存在しますが、その超過収益は資質によるものと考えるのが一般的ですが、「天才数学者、株にはまる」のようにそれさえも偶然性と数学的な確率の産物と考える見方もあります)
 もしそうだとすれば、由々しきことです。
 特に、私たち外務員やアナリスト、評論家、証券会社社員やなど、株でメシを食っている大半の人間が本来は無益で不要なただメシ食らいということになります。また、こうやっていま私の文章を読んでくださっているように、みなさんがインターネットで株に関した情報を集めても、運用成績を上げることにはつながらず、時間の無駄にすぎないことになります。

 以上は、もちろん愚痴として書いたのではありません。頼りの(?)米国株が軟調に推移し、絶望的に上値が重く、人気銘柄への集中投資と超短期売買だけが羽振りをきかす現在の市場では、よほど自分自身のモチベーションをしっかり見定めておかなければ、ともすれば呆然自失してしまいかねません。
 NECを買おうが、富士通を買おうがたいした違いはないし、電機を買おうが銀行を買おうがどうせたいしたことはないという投げやりな気持になったり、逆に、こうしちゃいられないと急に思いつめて、主婦がバーゲンに殺到するように人気株の高値に買いを入れてみたり、まさに投資家としての危機に陥りかねません。
 なぜ株をやるのかについて、この際、じっくりと考え直して見る必要があると私は痛感します。

 実は以上は前置きです。しかし、あまりにも長くなり、本文を書く余裕がなくなりました。したがって、今回は本当に言いたかったことを走り書きするに止め、詳細は次の機会に譲ります。

 申し上げたかったことは、まず第1に、我々が株式投資をする理由は、儲けたいということもさることながら、「自分らしくありたい」という根源的な欲求、すなわち自己発現欲が大いにからんでいるということです。そして、株式投資は、架空の世界でその欲望を満たすゲームと違い、今日、なにを食べようか、右に行くべきか、左に行くべきかと同じく、自分の人生そのものの選択です。
 第2に、自己発現欲が最大級に満足させられるのは、自分がいま時代の真っ只中にいて、右か左かの選択を迫られている瞬間ですが、株式市場はほとんどつねに時代の真っ只中にあることをまざまざと感じさせる場所であるということです。
 第3に、時代の真っ只中といっても、何がどのように真っ只中かということで、人それぞれに認識が違います。驚くほど違うといってもよいかもしれません。
 第4に、これはまったくの私見ですが、現在は明治維新、ポーツマス条約、敗戦に匹敵する歴史的な変化期だと認識できます。
 第5に、そのように認識した場合、@米国株がちょっと下げたからといって考えを変える必要があるか? A1000円で買った株を1150円で売ったり、1050円で売ったりの小利に満足できるか? B3年後に後悔することがなによりも恐ろしい――という心境になります。

 私の勝手判断ですが、これから数年の株価は、米国の強含み横ばいに対して、日本は連続上昇になると予想します。日経平均とNYダウを比較して、15年前には15倍だったものが、1倍前後まで低落したのですから、日本企業の業績一段高があれば、日経平均がNYダウの2倍くらいで動く時代が来たって驚くに値しないはずです。


第319回 なぜ売りたいのか?<1/19>

 最初にいただいたメールのことでちょっと――。
 先週、アルバック、双日の他、名証のエイペックスなど新興市場銘柄や相場観について、長文のメールを送っていただいた方、返信を何度試みても戻ってきます。正しいアドレスをお知らせください。
 この方に限らず、いただいたメールには必ず返事を書いているつもりですが、なんらかのトラブルで、いただいたきりになっている場合もあるかもしれません。たとえ、痛罵のメールであっても、私のほうでは無視するつもりはありませんので、その点、なにとぞお含みおきください。

 さて、このところの相場では、投資家によっては絶好調の日々が続く一方、投資家によっては毎日イライラがつのるだけというふうに、同じ強気スタンスでも、選んだ銘柄のタイプによって気分のよし悪しがはっきり分かれたといえましょう。
 絶好調の投資家とは、@新興市場株もしくはA中低位株で人気の波に乗っている人たちであり、イライラしている投資家とは、Bメリハリのない上げ下げを繰り返している主力系銘柄(特にかつてのスター株、例:野村証券、NEC)に再び胸のすくような上昇を待ち望んでいる人たちです。
 この明暗のある状況の中で、私自身は営業を休んでいたのでほぼ客観的に見られる立場ですが、公平に見て、主力株の上値がやたら重く、@やAに個人投資家の買いパワーが集中している現状はやむをえなかったのではないかと思います。新年に入って、日本の平均株価がようやく強含み、米欧に対して出遅れを解消する姿勢を見せたものの、肝心の米国株価が少なくとも先週までは調整色が強まっていたからです。
 ただでさえ、国内の投資マインドが低く、外国人の買い越しに一方的に依存する日本市場で、米欧株安に抗して主力株を買い上がろうなんていうドン・キホーテ的な投資家は昨年春から力を失うばかりです。一方、為替相場と同じく日本株の地合いが国際的に見て好転していると考えれば、当面は平均株価が横ばいでも単独に上がる可能性のある銘柄、すなわち非主力銘柄のうち、手っ取り早く人気化しそうな銘柄に資金を集中させるという戦術に徹した個人パワーの方向性は正しかったと評価されます。

 ただし、個人投資家の現在のパワーに対して、あえて懸念を表明すれば、あまりにも短期売買に偏っているということです。個人投資家が積極姿勢を見せているといっても、週間ごとの売買差額の統計では大きな買い越しになりません。買ってもすぐ売る、あるいは買った金額分他の銘柄を売るというのが、現在の個人投資家の主流スタンスになっているのです。
 そのことをいい換えれば、「株は危ない。だからなるべく少ない資金で効率的に勝負しよう」と、そう思っている投資家がいまの日本では主流派を占めているということに他なりません。
 株は危ない――! はたしてこの考え方は正しいのでしょうか?
 私は、株に対してもっとオーソドックスで根源的な発想をする投資家が増加しなければ、日本市場はいつまでたっても外国人主導で動き、資本果実のいちばんおいしいところを持ち去られてしまうことが続くと懸念します。

 そもそも、家訓や社訓で株式投資を禁じたり、ギャンブルと並列して株式投資をとりたてて危ないものとしたりする発想は、非資本主義的な日本特有のものではないでしょうか? 私は、過去30年、様々な人の財産状況の盛衰を見てきて、株式投資が不動産投資やその他の資金運用(長期債、外貨預金、貴金属、美術品、商品など)に比べて特に危険な結果をもたらした事実はないと断言できます。高値づかみのリスクは、その悲惨さも含めて他も一緒です。株の場合の倒産→全損に相当するリスクは、他の運用にもそれぞれあります。かつての証券市場や業界の質には反省すべき点は多いにしろ、株式投資だけがなぜギャンブル的で危ないとされ続けてきたのか、私には不思議に思えます。
 伝統的な<不動産=安全、株=ギャンブル>という発想に加えて、バブル崩壊による長期的な株価下落傾向が、「株の買い持ちは危ない」という思想の徹底につながり、さらにネット取引の普及とデイ・トレードに対するマスコミのもてはやしぶりが、多くの投資家を超短期売買に走らせたと思われます。
 もっとも、多くの投資家といっても、全投資家数に対して占める割合はしれているのでしょうが、なにしろほとんどの投資家が指をくわえて見ているだけの中、一部の投資家は猛烈な頻度で売買を重ねるのですから、市場に与えるインパクトは圧倒的です。
 昨日、三菱自動車の出来高だけで5億株を超えました。おそらく証券自己の他はほとんどが個人の取引ですから、恐るべきパワーといわねばなりません。

 問題は、たとえば昨日、三菱自動車を買いから入り首尾よく利食った投資家のうち、はたしてどのくらいの人が、三菱自動車の将来を明るいものに感じて投資したかということです。おそらく、第2の日産になるという大きな夢を抱いている人はゼロに近く、ほとんどすべての人が、とりあえずつぶれなければよい、遠い先のことなんか考えるだけ無駄というようなスタンスだったのではないでしょうか。

 短期売買は、それ自体ではゼロサムの世界です。無責任なマスコミがネット証券の尻馬に乗って、パソコンでじっと値動きを監視していれば、値動きを見る暇がない人より儲かるチャンスが確実に増えるというふうに喧伝しているのはどうかと思います。
 もちろん、人の資質によっては、値動きの中での一瞬の判断で勝ちを収めていくことが可能でしょうが、それは一方で資質的に負けやすい人が存在することを示すのみであり、短期売買それ自体の勝ち負けは、資本の果実とは無関係です。(相場地合いがよければ、買いから入る短期投資家は当然儲けやすくなりますが、そのリターンの増加は短期売買のゆえではありません)

 市場には様々な投資家が存在すべきですから、短期売買の投資家も当然必要ですが、本来は主流派を占めてはならないはずです。
 極端な比喩ですが、住む家を捜そうとしている人の数より、他人が住む家を売り買いしてサヤを稼ごうと思っている人の数が多いような市場構造であった場合、需要と供給の関係がねじれやすくなることから、真に需要と供給を反映した社会的に有益な価格形成が維持されるかどうか大いに疑問です。
 日本の株式市場では、持ち合いという本来的な需給関係をねじ曲げた状態が解消されつつあるものの、結果的に主な買い手は外国人のみで、世界一の金融資産を持っているはずの個人の持ち株比率が微増に止まっていることは残念なことです。

 私見では、資本主義である限り、資産の一定割合を株式にふり向けたいという欲求が存在するのが当然であり、そのことを「危ない」と考えるよりも、そうでなければむしろ資産バランス上「危ない」と考えるべきではないかと思います。
 資産のどのくらいを株式にふり向けるかは、それこそ人それぞれの時代認識と相場観によるわけですが、日本人一般が株式への資産配分を軽視している度合いは、相場観以前のレベルであると慨嘆しています。
 以上の見解は、株屋の我田引水の意見ではないと思います。


第318回 再出発<1/12>

 術後の経過が順調で、予定通りの日に再び書き始めることができることは嬉しいことです。
 昨年の中断に際して、理由を書かなければ、相場から逃げたくなったかと誤解されてもいやなので、入院という個人的な事情を書いてしまったのですが、思いがけずもメールで様々な励ましのお言葉を頂戴しました。
 病院にいると、自分でもびっくりするほど素直に人恋しくなり、自分に向けられたちょっとした言葉で気持が大きく明るみ、勇気づけられます。本当にありがとうございました。
 
 さて、相場を1か月以上も離れていたのですから、深遠な考察結果でも書きたいのですが、まったくその状況にありません。
 入院中は、経済、哲学、文学のジャンルを問わず、難しい本は読んでもまったく頭に入りませんでした。好きな碁の本さえもそうでした。腹部が痛いか痛くないか、何が食いたいか、排泄したいか、ガスが出たいか、比喩でもなんでもなくすべて胃腸を中心に思考し、喜怒哀楽する毎日で、飲み食いに対する関心は極度に強く、たとえば妻に自動販売機の「午後の紅茶」の赤い缶を頼んだのに、白い缶を買ってきたのでむかーっとして口もきかなかったほどです。
 ただ、あえていえば、そういう状況だからこそ、人間、ゆとりがなければだめだということは痛感しました。ゆとりは、思考の幅と厚みに直結します。例えば、目先の相場判断でどんなにすばらしく能力を発揮できる人も、5年、10年のロングタームで大きな流れを考えてみるゆとりがなければ、ぐるぐる車を回すばかりで前に進まないはつかねずみと同じで、長い目で成功できるかどうかは疑問です。
 相場は、小さな波や大きな波や様々な波がごちゃごちゃに重なりあって日々形成されるものでしょう。紅茶の種類に異常に執着し寛容になれなかった入院中の自分を半面教師にして、相場においても、どんなにそれが正しい言い分であっても、1つの波だけにこだわり全体像を見失うことがあってならないと痛感した次第です。

 現時点では、相場観で特に新しく申し上げたいことはありません。平均株価のじり高に便乗していうわけではありませんが、日本株回復の大きなトレンドは疑うべくもないほど確かなものと感じられます。相変らず弱気論を主張する武者氏は、米国経済に対してさておいても、少なくとも日本経済のだめさ加減に対してあまりにも固定観念にはまり込みすぎているのではないでしょうか。
 景気と同じく、目先の相場を膠着期の続きと見るか第2の始動期と見るかはちょっとした問題ですが、仮に中期的には平均株価での膠着期が続くとしても、大きなトレンドで考えれば、投資魅力のある個別銘柄へ投資することをためらう必要はほとんどないと考えます。

 私見では、当面の相場において、投資判断の尺度としてPERの効用がますます高まると考えます。
 PERはいうまでもなく、個別銘柄の投資魅力の指標としてつねにポピュラーで、重要な役割を果し続けていますが、昨年はそれほど有効だったとはいえません。というのも、昨年の相場は4月以降調整色が強まり、PERの低下が進んだからです。PER面から割安と見えても、ますますPERが低下する状況の中、有効性を発揮したのはむしろ資産面の指標で、ディフェンシブな性格があるPBRだったと思われます。
 今年は、相場が調整を脱却するとすれば、PERが一気に復権するのは理の当然です。特に、@成長性がありながら、業種のPER低下で十杷ひとからげに低PERに売られた銘柄や、A特殊事情でPERが異常低下している銘柄に、PER面から大きな見直し余地があるはずです。
 具体例を挙げれば、@ではアルバック(6728)です。あいにくと2日連続大幅高してしまい、買いにくいタイミングですが、今12月期の1株利益を控えめに140円と見ても、成長ポテンシャルを考えればPER20倍以下は信じられないほど割安というべきではないかと思います。PER30倍以上に評価されて、昨年上場時の高値を更新しても不思議ではないと私は考えます。(成長期待があるということは失速のリスクもそれなりに大きいということで、かつてお勧めしたアライドテレシスのように業績が急悪化していくことがないとはいえません。念のため)
 Aでは我田引水ですが、双日(2768)です。今期の特損と過去の経緯や優先株の残高からPERは問題外の相場形成ですが、5月の決算発表時までには、PER割安株として認知される機運が高まると考えます。
 双日にやや似た立場からJUKI(6440)、PBRを加味して安心感から日本化学(4092)などにも注目しています。


第317回 休む<12/1>

 最初にお断わりしますが、この文章は年内もう書けません。多分、再開は1月12日頃になります。私事ですが、来週から入院するためです。
 突然入院することになり、目の前が真っ暗になりました。生命の心配の有無はともかく、何週間も仕事を休むなんて、これまでの証券マン人生では夢にも考えられないことだったからです。
 正社員だった頃は最長1週間くらい休めましたが、外務員になってからは、1日休むことが6年間で3回あったでしょうか。
 仕事を休まざるをえなくなり、最初は真っ暗な気持だったものの、お客様ごとに代わりの人を決め、入院までにやるべきことをあれこれ考えて、一つ一つ済ましているうちに、だんだん気が楽になってきました。ものごとはなせばなるで、意外になんとかなるものですね。

 この1か月がどのようなものになるのか興味深々です。腹を切ることは恐ろしいですが、入院生活とはどんなものなのか、相場と関係なく毎日をのんびり過ごしたらどんな気持になるのか、本を好きなだけ読んだら飽きがくるものなのか、面会はなるべく断わるようにしていますが、見舞われると嬉しいものなのか、腹がへるものなのか、疑問はつきません。
 それと別の大きな疑問は相場がどうなっているかです。
 月曜日に日経平均が1万1千円を越え、久しぶりに押せ押せムードが出たときは、ついに東京も上昇開始かと思い入院を悔やみましたが、昨日今日、その期待はポッキリと折れてしまい、もし仕事を休むのでなければ、折れた気持をどう継ないでいくか大変だと思いました。
 誠に申し訳ありませんが、仕事を休むにあたって、いまさらこれまでの判断をいいの悪いのいっても詮なきことですので、退院してから、それまでの結果がどうだったかでまた考え直すしかありません。不謹慎ですが、若干高みの見物をさせていただく気分、よくいえば人事を尽くして天命を待つ心境です。

 無事職場復帰できましたら、またよろしくお願いします。


第316回 トレンド志向(3)<11/25>

 いくら円高とはいえ、米国の株価が堅調を保っているのに、なぜ通貨の強い日本市場が総見送りにならなければならないのか、私には理解できません。上値に挑みかかる気配がまったくなく、かといって大きく下がるでもない現在の相場状況に、いまさら一喜一憂しても仕方がないと思いつつも、憤りさえ感じてしまいます。
 いま感じているやるせない憤りは、質的にはおそらくバブルの頃と似ています。87年の神がかり的なNTT相場に続いて出現したのは、大手証券主導の馬鹿騒ぎ相場で、最後は暴力団介入の相場となりました。いま思えば、時代は着々と証券業界の粛清、ひいては日本経済の構造改革に向かって進んでいたのですが、中にいればまったく逆向きに見え、希望の見えない毎日でした。

 君、違うよとおっしゃる方がいらっしゃるかもしれません。現在の相場は、あの頃と違いクリーンだし、少なくとも主力株においてはファンダメンタルズや個別の業績動向を映して、合理的に形成されているんだ。君が腹を立てているのは、機関投資家のようにちゃんとしたアナリスト情報をもらえないので、平均株価が横ばいでも、合理的な理由でAが買われ、Bが売られている日々の株価変動がうまく理解できていないからなんだよ、と。
 しかし、そうおっしゃる方に私も申し上げたいのです。アナリスト情報をもらえることにどれほどの価値があるのでしょうか。レポートの内容の価値はさておき、たいていの人にとっての「情報」とは、株価レーティングと目標株価に過ぎません。そしてアナリストは事業分析のプロであっても、たいていの場合、株価判断のプロではないのです。
 もっとも、市場にはいろいろな投資家がいてよいわけですから、当たり屋アナリストがイビデンを買いだと言えばいち早く買い、NECを売りだと言えば売る、そういう投資家も存在していてよいと思います。ただし、程度問題です。数人もしくはたった一人のアナリストの株価判断が金科玉条になり、市場がその通りに動いていてよいはずがありません。
 様々な意見の対立による売買の交錯と広がり。これこそが市場のバイタリズムの源泉であり、実体経済の活気にもつながっていくはずです。

 現在の市場に不足しているのは、投資家と投資家の意見のぶつかりです。例えば武者氏と海津氏の論争のように、評論としての弱気と強気があっても、現実に市場で売買する投資家は、弱気と強気に分かれてがっぷり四つに組んでいる状況ではありません。例えばいま買った株を次の瞬間売りに出し、例えばアナリストに評判が悪い銘柄を売って、その分を同業の他の銘柄で補充しておくというふうに、1人の投資家がその日のうちで買い方にも売り方にもなり、結局のところ、ほとんどの投資家の選択は弱気でも強気でもないのです。
 株式投資は、本来は1カイ2ヤリのさや稼ぎではなく、時代と経営者に対するGOかSTOPの選択のはずです。「GO」か「STOP」かを決めて投票することは当然ながらリスクを伴います。だから、あまり大きなリスクを取りたくない投資家は裁定型の売買をしたり、オーバーナイトのポジションは持たないようにしたりするわけですが、もし多くの投資家がそう考え、GOかSTOPか旗印を鮮明にすることを避けたら、市場はやせ細ります。

 現在の市場は、私にはバブル期と同じく、多くの投資家が自分自身の判断をひとまず保留して、とりあえず他の多くの人と同じ行動をしておこうと思っている状況にあるとしか思えません。そして、多くの人の判断は、「不透明だ」「上値は重そうだ」「上がったら売るに限る」ですから、ますます上値は重くなり、といって下値もさほどでなく、ボラティリティ(変動率)が低下します。
 本来、株式市場を取り巻く環境は、つねに「不透明」なはずです。むしろ市場環境が明るいときこそ本質的なリスクは大きいというのが過去の経験則であり、現在のように警戒感が強いときはむしろリスクが小さいとさえいえましょう。
 現在の見送り商状の最大要因は、現在が経済回復の中だるみ期で、景気の反落が予想されるということですが、仮に景気の再拡大がやや伸びたところで、企業業績にどれほどのダメージがあると予想されるでしょうか。現在の各企業のPERから見る限り、4年前のネットバブル崩壊のようなダメージを恐れているとしか考えられないほどですが、冷静に考えてその可能性は低く、現在の株価に大きなリスクがあるとは思えません。
 言葉でいえば、多くの人がそれはそうだよといいます。しかし、現実の投資に臨んでは、そうはいっても「何が起こるかわからないよ」ということで、買った株はすぐ売りたがり、つぎ込む資金も増やそうとはしません。

 愚痴めいてきましたが、いまさら愚痴を言うつもりはありません。本当は何も言わずに、ただ待つしかない時なのだとも思います。そして、待っているのは、ずっと後から見て、日本株のトレンドはどの方角を向いていたのかという結果です。

 いま2時、日経平均は4円高とプラスになりましたが、双日は8円安の426円と安値模索です。特に双日だけが極端に下げているわけではないのですが、この銘柄の場合、下がるとものすごく不安に思う投資家が多いので、久しぶりに書き添えます。
 銀行の双日向け債権が来年3月期に不良債権認定をはずれることは確実です。そうでなければ、UFJが不良債権削減の目標比率を達成できないからです。
 信用面の不安が一掃されるとすれば、1株あたりの収益力の評価によってバリュエーションが決定されるはずです。いまの相場状況では、双日の妥当株価を高く評価して積極的に買おうという動きが本格化することはまったく期待薄であるものの、私は全体相場の上昇とともに3月にかけて一段高し、5〜6月には昨年来の高値をうかがう動きになると目論んでいます。
 9月中間決算は、経常利益で前年同期比35%増益の257億円と好成績であり、通期500億円の目標の過半を達成し、増額余地があると思われます。今回の損失処理によってバランスシートが正常化したとすれば、景況が懸念される来期以降も商社という業態から見て収益が大崩れすることは考えられません。来年の5月の決算発表では、予定通り経常利益650億円の予想を出すことになると考えます。
 この銘柄に限らず、なぜこの値段のままなのという銘柄はたくさんあります。このところに来て、市況の安定感から、東京地区の棒鋼メーカー2社、合同製鉄と東京鉄鋼に久しぶりに注目しています。


第315回 トレンド志向(2)<11/17>

 株は売ってなんぼの世界だよといわれます。売って利益を出さなければ、絵に描いた餅にすぎないというわけですが、はたしてその考え方は正しいのでしょうか?
 ある銘柄に100万円投資したとします。120万円くらいになると、かなり多くの人がいっぺん売っておこうかと考えます。売れば20万円の利益が確定するが、売らなければ損益は?のままだからです。
 しかし、本当にそうでしょうか? たしかに、売ったその瞬間に資金が120万円に増えているのはまぎれもない事実です。しかし、その資金でいずれ別の銘柄に投資するとすれば、その株価で資金の評価額は揺れ動くので、利益が本当に確定したとはいえません。利益が確定するのは、株式投資から完全に手を引くときだけです。
 私自身は証券マンを辞めても、株式投資を死ぬまで続けるでしょう。多くの投資家も1つの銘柄を売ったからといって株から手を引くわけではないはずです。だとすれば(つまり、永続的に株をやるのなら)、所詮すべては「途中経過」であり、ただ折々のパフォーマンスがあるだけです。そしてパフォーマンスを計算するのに、実現損益と評価損益の区別はありません。すなわち、値上がりしたから、売らなければならないという必然性はまったくありません。

 そうじゃないよ、より効率的にもうけるために、株は上がったら売るべきだと言う人がいます。いわゆる「逆張り型」の考え方で、100万円のものが120万円になったら、さらに140万円になるかもしれないが、100万円に下がる可能性が強くなる。だから、売って、下値不安の小さい銘柄に乗り換えたほうがよいというわけです。
 また、それとは全然違う、むしろ「順張り型」の考え方で、株は勢いだよと言う人がいます。いまその瞬間、賑わっている銘柄があって、勢いがよいと思えばぱっと仕掛け、勢いがよいうちに反対売買する。すると、次から次へと美味しいところを鍋に入れることができ、みるみる資金が増えていくというわけです。私にはまったく成算がありませんが、瞬間的な判断力に自信があれば、誠に簡明で、ネット・トレードに最適な考え方です。
 株式市場は様々な人がいて成立するのですから、それら2つの考え方も当然あってよいのでしょうが、私は基本的に見習いたいとは思いません。
 私は、前回述べたように株式投資にロマンを感じています。株式投資と人生をだぶらせ、自分の判断を時代にぶつけ、時代の答えを自分の人生にフィードバックしたいと考えています。
 投資を決定するうえで、大切なのは、その銘柄にその値段で投資価値を心底感じるかです。どのような局面であれ、合理的に株価水準を説明できない銘柄、すなわち投資価値を超えて割高と思われる銘柄には投資したくはありません。そして、その判断を踏まえたうえで、時代の風、すなわちトレンドに対してどのような姿勢で臨むかを決定し、決定したからには日々風向きに一喜一憂しないことが大切と考えます。

 これまでのトレンドとのかかわり方を簡単に総括します。
  1. 80年代後半の株価バブルに対しては、「アンチ」で臨みました。結果、もうけが少なかったものの、反動も軽微でした。
  2. 90年代前半の調整はやや過小評価してしまい、相場なりに浮き沈みしました。
  3. 90年代後半の二極化には、「是」で臨みました。手前味噌ですが、ロームの買いと銀行株のカラ売りというポジションを勧め続けました。
  4. 2000年のネットバブルは、やや「アンチ」で臨みました。これも手前味噌ですが、ネットバブルの絶頂期に、石川島と同和鉱を勧めました。
  5. ただし、その後3年にわたる調整をきわめて過小評価してしまい、積極型顧客に甚大な損害を与えました。
  6. 昨年来の上昇は一貫して強い「是」で臨み、それなりの成果をえました。ただし、今年の4月高値以降も強気のままなので、やや目減りしています。

 現在の私は、日本株の長期トレンドについて次のように考えています。
 @デフレ・トレンドは終わった(昨年4月大底)
 A第一の上昇局面も終わった(今年4月高値)
 B現在は第二の上昇局面に入ろうとしている(10月26日安値?)
 C第二の上昇局面も1年規模で続く(来年秋まで?)
 D第一と第二を合計していわゆる金融相場を形成、市場に買い安心感が高まる業績相場はその後にやってくる(金利上昇による反落をへて、再来年?)

 なぜ今後を上昇局面と想定するかについては、詳述を省きます。日本経済が閉塞状況を続けると考えるならともかく、90年代よりは少しでも明るくなると考えるなら、株価が上がらないとあきらめるほうが不自然です。
 バブル崩壊後、不良債権問題が深刻だと分かっていても、まさかまさかで織り込みに時間がかかったように、十数年ぶりの不良債権問題の解決は、ここにきて誰の眼にも明らかになったとはいえ、投資家の意識には逆のまさかが沁み込んでおり、株価への完全な織り込みにはまだまだ時間がかかると考えられます。
 したがって、第二の上昇局面では、徐々に日本経済の明るみを織り込みながら、少なくとも90年代のリバウンド水準を超える上昇になっていくと考えます。ただし、TOPIXならともかく日経平均で見る場合は、90年台のリバウンド水準は2万円台ですが、現在の日経平均換算では1万5千円くらいに割り引いておく必要がありましょう。
 
 今後の上昇局面で買われる銘柄の傾向は、金融相場の続きと考える以上、第一の局面と大きな変化はなく、
 @景気敏感業種(半導体、工作機械、鉄鋼、海運)
 A再生関連銘柄(業績・財務急向上)
 B小型成長株(業種問わず)
 となると予想します。
 現在、それらの銘柄は、インターネット関連や新規公開直後を除きPERは歴史的に低い水準であり、今後急速に業績悪化するのでなければ、割安で、投資魅力があると自信を持っていえます。
 したがって、私は予想される株式市場のそのようなトレンドを「是」と考え、積極的にかかわっていかねばならないと思っています。


第314回 トレンド志向(1)<11/10>

 「FOMC」や「貿易収支」や「日本のGDP」など、今週は見送り材料にこと欠きません。しかし、それらは言い訳にすぎず、そもそも何がなくても見送りたい日和見気分が市場参加者の多くにはびこっていることは前回述べたとおりです。
 この日和見気分が大勢的な回復期の相場の特徴ではないかということも前回述べました。しかし、違う角度から見れば、団塊の世代がリタイヤに向かいつつある現在の時代構造にも関係があるのではないかとも思えます。

 私も実は団塊の世代の一員です。ベビーブームに生まれたお陰で、すし詰め教室、受験地獄、通勤地獄、配偶者難、出世競争と様々な困難にめぐり遭い、中年を迎えた我々にポストを与えようと企業が拡張に走ったことがバブルの一因となり、そしてその結果は、長く苦しいデフレとリストラの地獄でした。
 しかし、我々は暗い世代ではありません。ベ平連やヒッピーにも共感でき、東大や日大闘争ではヘルメットをかぶり、それでいて就職すれば、猛烈世代の上司を心から尊敬し、女房にもいばらず、仕事と家庭を両立させようと努力しました。
 問題は、我々のあとに続く世代です。普通、いまの若い者は・・・・なら、@現実的ではない、A怖いもの知らずだ、B怠け者だ、などということになるのでしょうが、むしろ逆です。私に言わせれば、我々の後輩の多くは、余りにも現実的で、ロマンが漂っていないのです。そして、ロマンとは、主に先輩から漂ってくるものであり、60年安保で死んだ樺美智子さんだったり、NHKの「プロジェクトX」に出てくる挑戦者たちだったりするのです。
 ロマンの定義をさておいても、我々の世代を分水嶺にして、次のように世代的な特徴を類型化できるはずです。
 ●団塊以前の世代・・・・ホット、ウエット。過去を語り未来を語るのが好き。白黒の区別をはっきりしたがる
 ●団塊の世代・・・・だいたい上に同じだが、白か黒かで大いに迷う。そして、白黒をはっきりできない自分は卑怯ではないかと思ったりする
 ●団塊以後の世代・・・・クール、ドライ。過去や未来にこだわらない(今がすべて)。白か黒かにもさほどこだわらない

 私は、相場で大切なことは、相場観であり、市場全体として今が上向きか、下向きかという方向感を判断することにあると思っていました。しかし、それはもしかしたら、ウエットな我々の世代の常識であり、過去や未来、あるいは白黒の区別にこだわらない世代が主導する今後の相場ではあてはまらないのかもしれません。
 この数か月の東京市場は、おおむね極端な見送り商状で推移しているにもかかわらず、出来高は10億株以上が当たり前になっています。一昔前なら見送り相場ではせいぜい2億株ですから、単純に考えれば、最近の市場出来高の大半は、相場の方向感があろうがなかろうが売買される取引によって占められていることになります。具体的には、証券会社の自己売買を除くと、個人のデイ・トレードと機関投資家の入れ替え商いや裁定取引ですが、それらをすべてドライな世代の産物と考えるのは行きすぎであるものの、これらの取引が主体となっている相場観無用の市場現実と、我々の世代の多くが愛する「相場ロマン」との間に大きな違和感があるのは確かです。

 もっとも、1980年代までのホットに過ぎる市場や証券界の雰囲気も考えものです。よく言えばドン・キホーテ、悪く言えば単なる亡者みたいな人が、顧客にも証券マンにも多数存在しました。猪突猛進の投資家が多ければ、株価は上にも下にもぶれやすく、分析より気合や根性の世界に入ります。(今でさえも、市場のごく片隅ではそのような狂的な動きが健在です。大幅分割直後のゼクー(2758)は今日、1か月後に同値になるはずの新株の10倍近くに達しました)

 ドライに過ぎるのもいや、ホットに過ぎるのもいやというのは、もしかすると私の個性ではなく、世代の傾向なのかもしれませんが、いずれにしろ私の証券への志はそのあたりにあります。
 株はもうかればいいのだ。それはそうかもしれませんが、ただ単にもうけるだけではなく、思い入れを遂げたうえでもうけたいという贅沢な欲求があります。
 だから、やはり相場観が必要なのです。もうけたときに、ほーら見たことか、おれは分かっていたんだと言ってやりたいのです。仮に損しても、うーん、時代はまだ機が熟さなかったかと不運な自分を大河ロマンの中に置きたいのです。

 今回は、方向感のない相場が続く中で、大きな視野でトレンドを判断し、旗幟鮮明な姿勢をとりたいということについて書こうと思いましたが、世代論に寄り道して論旨がずれました。
 次回は、現在が大局的に見れば、2003年4月を大底とする長期回復相場の第2上昇波動に入ろうとしていると考えられることについてぜひ書きたいと思います。
 注目銘柄としては、景気敏感株(双日+半導体+工作機械+海運・鉄鋼)です。


第313回 日和見気分からの脱出<11/2>

  日本の株式市場は日々メリハリを失っていくようで、もはや自律的には膠着感を脱出できないかのようです。大きな変化があるとすれば、外からの刺激がきっかけになると思われ、そういう意味で、先週の月曜日に今年の最安値を更新したあと、意外に底堅い動きに転じたNYダウが、大統領選挙後にどう動くかに注目している人が多いようです。

 しかし、グローバル市場の一翼を担うはずの日本市場の方向性が、米国市場の結果で決まってしまうと考えることは悲しいことです。加えて、米国の実質的な株価水準は、ナスダック指数やSP500などで見れば8月の安値から相当に高い位置にあるのに、日本の株価指数が、少数の銘柄で算出され製薬など一部企業の特殊要因で下げたNYダウと一緒に年初来の安値圏でふらふらしていることは不思議です。
 私の勝手な推測では、日本市場は、単に「迷う」材料を欲しているとしか思えません。国内総悲観の中で去年の4月に歴史的な底値を打ったことは疑う余地がないものの、上がり続けるはずがない(上がったら売り、下がったら買い)という日和見的な気分が市場参加者のほとんどに沁みこんでいるのです。「迷う」材料は、その感覚的判断を正当化してくれる居心地のいい止まり木、すなわち「言い訳」にすぎません。

 当面は、決算内容によって買われるものと売られるものの明暗が生じ、個別物色の色彩が強まるという見方が有力です。
 このこと自体は大変よいことと思います。日本の株価形成は、あまりにも個別のバリュエーションを無視してなされてきました。しかし、仔細に見れば、このことも現在の市場の日和見気分を強く反映しているように思われます。
 例えば、NECと富士通は同じ28日に決算を発表したあと、株価にかなりの明暗が生じています。今期の予想1株利益は、富士通の34円に対してNECは31円に下方修正されたものの、税引前の1株利益ではNECのほうがまだ上です。市場は今後もNECに個別の収益悪化要因があると見ていることになりますが、私見では、それほど深刻に将来を評価した結果ではなく、単に市場人気の流れから、NECを保有し続けるより富士通を保有するほうが無難と多くの機関投資家が判断した結果ではないかと考えます。
 (富士通とNECのどちらが高い株価であるべきかは、過去の推移も含め大変面白い問題ですが、ここでは触れません)
 すなわち、機関投資家を主体として見れば、個別物色とは、これはと思う銘柄を信念をもって買うということをまったく意味せず、アナリストに人気のない銘柄を処分して、アナリストの評判がよい同タイプの銘柄に切り替えるということにすぎません。
 過去の実績を見る限り、アナリストに評判のよい銘柄はたいていの場合すでに高値圏にあり、不人気の銘柄は安値圏にあり、したがって長い目での結果は評判のよい銘柄が必ずしもよい成績を収めるとは到底いえないのですが、当面において、市場の大勢に逆らわないきわめて無難な行動であることはたしかです。

 市場に日和見的な傾向が高まるのは、回復期の相場の特徴であると考えられます。
 実際に体験したことではありませんが、昭和40年不況からの立ち直りの相場はきわめて不透明感が漂い、もどかしい動きが続いたようです。いま思えば、日本の高度成長がまさに絶頂を極めようとする黄金時代の入り口だったわけですが、投資家は懐疑心を引きずり続け、株価の回復はソニー、ハウスなど外人買い銘柄を除き緩慢でした。
 日本の株価が昨年4月に底入れしたものの、今年4月を高値にして1つの上昇局面を終えたことは確かでしょう。問題は、現在の調整局面にあとに来るのが、回復の第2ラウンドともいうべき上昇局面か、それとも長期的に見ても回復のトレンドが終わってしまったのかということです。
 もし後者なら、昨年からの上げ相場は、規模的に90年代の3回のリバウンド相場と変わらず、昨年4月が大底だったという判断にさえ疑問が生じます。
 この点についての判断は、それこそ人それぞれが自分自身の時代認識で判断すべきことです。私は日本の株価回復のトレンドは続いており、現在の調整相場のあとに回復の第2ラウンドが始まるということを疑うべきではないと考えます。
 次の相場がどのような性質かということを考える場合に、金融相場と業績相場という用語を用いると、一般的には、回復の第2ラウンドは業績相場ということになりがちですが、私はその用語は適切ではないと思います。なぜなら、業績相場は企業業績に神経質な相場ではなく、投資家が景況と企業業績に自信を持ったときに出現する相場ですから、なにごとにつけても気迷い感が強く働く現在日本に市場で近々に実現するとは考えにくいからです。まだしも業績相場の用語にふさわしい相場局面が到来するとすれば、それは多分、次の景気サイクルで、投資家の楽観的な気分とともに徐々に出現するのではないでしょうか。

 当面においては、仮に上昇相場に転じても、警戒感が強く、気迷い感が漂う相場展開になると考えます。去年からの上げ相場もそうであったように、市場ムードが強気に傾いた瞬間に反落がやってくるような、あまりはっきりしない展開かもしれませんが、徐々に日本経済への根本的な弱気が後退し、次の業績相場的な局面を準備することになると予想します。

 以上のような考えのもとに、自分の考えを整理し、強気方針を再構築し、11月の相場に臨みたいと考えています。


第312回 いっそ売ってしまいたい<10/28>

 今朝は日経平均130円高。米国株の底入れ気配で、久々に明るみがさしているものの、顧客や我々の表情は明るくありません。もう下手に期待なんか持たないよとだれもが考えています。もしかすると、だからこそ転機が近いのかもしれませんが、そういう期待をなかなか許さないほど、我々の気持は沈み込んでいます。

 現在の株式相場は、一歩足を踏み外せば命にかかわるというような絶体絶命の状況ではありません。連続テロで米国の市場機能が麻痺し、日本でもメガバンクのうち2行が危ないといわれた2年前の今頃など、これまでの市場が遭遇した数々の逆境期に比べれば、現在は多少の心配はあっても天国みたいに気楽な状況といえます。
 しかし、その気楽さ、スリルのなさが、投資家の意欲にマイナスの作用を及ぼしはじめているのが現状でしょう。投資家は、目に見える悪材料にはタフさを発揮する一方、目に見えない不安感には意外に無抵抗です。投資家のマインドを甚だしく阻喪させるのは、まさにいまのような状況で、悪材料がないのに株価が伸びず、めりはりのない上げ下げが毎日続き、先行きに対して特にスリリングではないが漠とした不安感が漂ってくるときです。
 米国ではすでに9か月、日本では6か月、上値が重く澱んだ躍動感のない相場状況が続き、投資家は最初のうちはなぜ好業績なのに上がらないのかといらつき、次に先行きを疑いはじめ、結局ずぶずぶの迷いと半ばあきらめの気分にはまり込んでいます。
 私自身も、もういい加減いやになっています。先週末の米国の下げで、日経平均の三角保ち合いが崩れることが確実になったとき、今週は下がることによっていよいよ強弱両軍が真正面からぶつかり、よくも悪くも新局面に突入かと身構えました。しかし、月曜日の朝のうちを除けば、また気迷い感にどっぷりつかった毎日に戻ってしまったのです。
 (いま日経平均先物が170円高と寄り付きの水準の回復し、私はもしかすると今度こそ・・・・という期待をついつい抱いてしまうのですが)

 いっそ株を全部売り払ったら、どんなに気持が楽になるだろうかと思います。実際に先週、資金の性質から破滅的な損は絶対に(しかしむろん絶対なんかありえないので、なるべく)させたくないと思っている信用顧客の一人に、双日を除く全持ち株の売却を打診しました。
 とはいうものの、簡単には売りを実行できません。迷いに迷って、ええいっとばかり売ってしまうと、そこが転機で、あとは胸のすく上昇ということがよくあるからです。逆に、ねちねちと頑張っていると、ずるずると下値を切り下げ、あとでなんであのとき思い切らなかったかと悔やむこともしょっちゅうですが・・・・。

 我々のお客さんの中で、あまり株の売買に慣れていない人には、よくこういう言い方をする人がいます。
 「君たちはいつも株価を見ているのだから、下がりだしたら、すぐ売りを勧めてくれないと困るよ」
 この言葉だけで判断すれば、このお客さんが求めているのはまるでロスカットの手法ですが、実はそうではありません。「下がったら」ではなく「下がりだしたら」が曲者で、下がっても戻りそうなら売る気はないのです。あくまで、下がったそのあともまだ下げ続くことが確実なときだけ売りを勧めてほしいのですから、そのように下げが確実なときは滅多にありません。このお客さんの要望は、「下げそうなら、下がる前に教えてくれ」と翻訳すべきで、真っ正直に答えるなら、「それが分かるなら、苦労しませんよ」と言い放つべきです。
 それはともかく、ある限度を越えて下がったら売ると決めておけば、大きな損は生じません。だから、ロスカットは大切なのですが、問題は、その実行基準をどう決めておくかです。
 古い話ですが、1960年代の米国で大儲けした投資家がいて、その手法が、まず株を買う、もし上がらずに買い値から10%下がったら損切りする、首尾よく上がったら高値から10%下がるまで決して利食わないという機械的なもので、その好成績が当時大評判になったそうです。しかし、人々が見習い始めた頃には、株価の低迷期に入り、その通りにやれば損切りばかりが続失、惨憺たる運用成績となりました。黄金の60年代だから成功したのであり、全天候型の手法とはいえなかったのです。

 私は、銘柄や仕掛けによってはあらかじめロスカットの値段を決めておく場合もありますが、多くの銘柄については、損切りの判断はケースバイケースです。ファンダメンタルズを大きく変化させるような悪材料が出現しない限り、下がったからといって決して悲観せずに持続方針を採っています。
 もっとも、現在のように何もかも下がり、資産全体で抱えている損が拡大してくると、顧客によっては相場観と別にリスクに対するキャパシティを再検討し、上に述べた信用顧客の場合のように戦線縮小をお勧めすることもあります。(ただし、現在は90年代と違い、資産や生活のぎりぎりまでリスクにさらしている顧客は少ないようです)

 損切りをケースバイケースにすると、本質的な悪材料が出たら必ず売ると決めておいても、人間の判断は欲目によって狂うものですから、おうおうにしてタイミングを逸することがあります。今年の大失敗例を挙げると、コーナン商事(7516)です。
 コーナンは3月頃1600円台から4月の2300円台まで、2800円以上を目標に買いを勧めたのですが、7月に2540円高値をつけたあと急落、時価は1200円台で、かなりの数の顧客が売りそびれています。
 反省するのは、4月高値を7月に更新したことに気をよくして、その直後に発表された第1四半期の決算で前年同期比減益となったにもかかわらず、会社の通期の収益予想が据え置かれたので、変調は一時的で「たいしたことはあるまい」と軽視したことです。さらにそのあと、公取の立ち入り検査で株価が2000円を割れたときも「たいしたことはあるまい」と楽観したのですが、この立ち入り検査による仕入れリベートの自粛も収益の足を引っ張る要因の一つになり、9月末には通期の大幅減益見込みを公表するに至りました。1200円まで下落した今後については悲観していませんが、損切り方針を明確に打ち出せなかったことは、反省すべき大失敗です。
 値下がり率だけ見れば、NECシステム(3717)も今年の大失敗ですが、この銘柄の場合は、格別な悪材料が出現したのではなく、全体地合の悪化と、ソフト産業の全般安に押された結果と考え、さほど悲観していません。昨日発表された中間決算も子会社の特殊事情で期初予想をほんのわずか下回ったとはいえ、受注残高は前年同期比24%伸びており、好調とさえいえます。通期1株利益215円で時価はPER16倍台ですから、長期的にはまだまだ成長余地の大きいソフト産業として楽観しています。

 今回は、いっそ売って楽になりたいと思えてくる現在の相場状況と売ることの難しさについてごちゃごちゃと書き連ねてしまいました。
 株は、耐えて持続すれば、必ず報われるという保証はなく、長い間にはずるずると損を拡大する危険も大いにあります。
 現在は、目に見える悪材料によってではなく、目に見えない漠とした不安との戦いであるだけに、眼前のリスクによって剣が峰に立たされている極限状況の相場と同じくらい、投資家の断固たる気持が平時以上に必要だと思います。
 私自身は、日々気持は人並みに揺れ動きつつも、いま先行きに対する漠然とした不安に恐れをなして尻尾をまくなら、所詮は未来への挑戦である株式投資で勝者になれるはずがないと考え、気持を強く維持したいと思っています。


第311回 双日の希薄化リスクについて<10/20>

 日経平均はとうとう1万900円割れとなりました。三角保合い下離れも考えられる状況となり、相場観を二の次にして、下落リスクに備える必要が出てきました。
 IBMやTIの好決算でやっと底練り脱出かと思った矢先に、再びわけの分からない暗転で、投資家のマインドはがたがたになっています。ほとんどの人が、まさかデフレ・スパイラルの再来があるとまでは思わず、長期的には株価の右肩上がりを予想するものの、目先的にはどんな下げがあるか分からないと考えはじめているのではないでしょうか。
 私もその一人です。日本経済が歴史的な転回を果たしつつあるという去年以来持ち続けている根本的なスタンスは変わりませんが、目先的にはまったく展望がありません。実は相場の方向に展望が持てないからこそ、このところPER考とか投資スタイル考だとか基礎的なことにこだわっていたのですが、それでも信念だとか成算には結びつきません。
 結局のところ、現在のように漠然とした不透明感が漂っている中で、株を買うか、売るか、何もしないかは、自分の耐えられるリスクと相談しながらそれぞれの投資家が選ぶしかないのだという、他の人が聞けば無責任だと思うかもしれない考え方のままです。おそらく後になれば、なぜあの頃はあんなに腰が引けていたのだろうと不思議に思うのでしょうが・・・・。

 そのような中、比較的に信念を持って取り組んでいるのが双日です。ただし、すでにある程度持ってもらっている顧客(総じて積極的)には買い増しを勧めていないので、まだ持っていない顧客(総じて保守的)に散発的に買ってもらっている程度です。

 私見では、双日の投資魅力は、下値リスクが限定されており、かつ上値の可能性領域が成熟産業株としては最大級にあるということです。

 双日の下値リスクが限定されている理由は、倒産する可能性がほとんどなくなったことに尽きます。
 昨年以来、双日の株価はつねに倒産リスクを意識して形成されていますが、特にリスク感が高まったのは、昨年4月に命綱であるメインバンクUFJが8万円台に売られたときと、今年7月にUFJと三菱東京の統合交渉中止の仮処分が出たときで、昨年安値205円と今年安値325円はその際のものです。それ以外の局面では、おおむね400円台と700円台の株価ゾーンで推移しています。
 今月末の優先株発行により、倒産リスクは大幅に解消するにもかかわらず、株価が400円台と従来の下値ゾーンにあるのは、大幅な評価損失の計上を悪材料と考える投資家が多いからと考えられます。
 しかし、評価損失の計上は現金の流出を伴うものではないので、企業の信用さえ保たれるなら、PBRなど資産価値で買われている銘柄を除き株価形成に大きな影響を与えるものではありません。まして実質的には超低位株である双日の場合、収益(キャッシュフロー)価値vs倒産リスクが強弱の焦点だったのですから、いまさら普通株の1株あたり純資産の低下をさほど気にする必要はなく、したがって昨年来の下値ゾーン(400円台)を切り下げる必然性はないという認識が次第に有力になっていくはずと考えます。

 問題は、大量の優先株発行によって、普通株の収益価値が低下し、上値の魅力が大幅になくなったのではないかという懸念です。
 信用を補完するために発行される優先株は、企業存続のためには救世主の役割を果たすものの、やがて収益が平常に復したときには、普通株の株主にとってマイナスの作用をもたらします。
 マイナスの第一は、無配のうちは金融費用が減少するメリットがあるものの、復配した場合は、優先株への配当コストが借入金だった場合の金利コストより高いものにつきがちということです。例えばオリコは、今期復配予定で、税引利益から95億円の優先株配当が支払われるため、普通株の1株利益は14円低下します。これは優先株の発行金額に対して2.7%のコストで、コスト的には税引前に費用計上できる借入金への支払い金利5%にほぼ相当します。
 マイナスの第二は、普通株への転換による希薄化懸念です。一般的に、救済的な優先株を発行する企業の株価は安く、かつ発行金額は巨額であるため、潜在的には現発行株式数の何倍もの希薄化懸念を抱えることになります。

 双日の場合、今回で2回目の優先株の発行なので、将来の配当負担と極端な希薄化が懸念されていますが、配当負担については、308回に詳述した通り、今回発行分の大部分についてはきわめて軽く、全体でも、通常の金利下では発行残高が半分に近いオリコよりもむしろコストが小さく、上記のマイナスの第一の面はほとんど無視できます。
 
 難しいのは、マイナスの第二の面、すなわち希薄化懸念です。
 大雑把に考えても、現在の時価総額1000億円の会社が6000億円以上の優先株を発行し、しかも前回分の転換価格は262円ですから、8倍くらいに発行株式数が増加する可能性を否定できません。
 しかし、上記の可能性はほとんどありえないレベルのものです。
 現実的には、双日の発行する優先株のほとんどは現金によって消却されるでしょう。去年の三井住友や今年の三菱自動車のように優先株がヘッジファンドなど完全な第三者に割り当てられる場合は問題外として、メインバンクを中心に銀行団が引き受けている場合、積極的に普通株に転換される可能性はほとんどなく、現金による消却が最優先されると考えてよいはずです。

 具体的には、双日が発行する優先株は次のように分類できます。
 @外国金融機関向け130億円・・・・前回リーマン30億円、今回UBS100億円
 A前回 銀行団分2630億円・・・・平成28年から2年おきに526億円ずつ転換   最終期限が到来する
 B今回 準メイン分200億円・・・・転換最終期限なし。配当コストは普通
 C今回 UFJ分1305億円・・・・  〃      配当コストは有利
 D今回   〃 1995億円・・・・  〃      配当コストは非常に有利 
       合計6260億円
 以上のうち、@はヘッジファンドのように敵対的な出資者ではありませんが、市場で売却されるかは別にして早期に普通株に転換されると見られます。それにより新たに発行される株数は約3000万株で、14%程度の希薄化です。
 AとBの合計2830億円を平成36年までに消却するとして、その1年あたりの負担は142億円で、プレミアムを付けて買い取るとしても、期間収益で対応可能な範囲です。(将来的には、様々な形の資金調達による対応も可能になるはずです)
 CとDについては、消却を急ぐ必要はありません。将来、相当に資金的な余裕が生じた場合にCを消却し、さらに余裕が生じた場合にDを消却することができます。
 なお、UFJと東京三菱・三菱信託が統合されれば、@の130億円以外の銀行団向け6130万円のうちグループで87%の5350億円を占め、それ以外は準メインのみずほ550億円、りそな180億円、商工中金50億円にすぎません。

 以上のような状況から、双日の優先株による希薄化懸念は、少なくとも数倍というような規模ではなく、収益価値の見直しによる株価の上値余地が大きいと考える次第です。

 いま、14時過ぎ。日経平均は1万853円から900円台に小戻し、今日のところはやれやれです。いっそ売り方に回ったらどうかという考えもありますが、私は日本経済の転回を信じる限り買い方でまっとうしたいと考えています。
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